2010/07/28

スケスケ

専属テストライダー”タクマくん”がやってきた。
彼の乗っているINQUBOは穴あきステンレスエンドが入ってる、製品にする前にテストをお願いして半年、プロトタイプに乗ってもらった。ペゴレッティには「折れる」と酷評されたエンドは今もばっちりビクともせず彼の自転車通勤を支えてる。

たこ焼き

2004年のミラノは特に暑かった。
クーラーなんかあるわけないウチのマンションには暑苦しいオトコばかりが住んでいた
みんなオレより若いファッション業界に夢を見る日本人だった。

14時間のフライトのあと飛行機が止まり、ゲートが取り付けられる。
お〜!日本、しかも関西やん。
うどんにタコ焼き、え〜と・・
アリタリアの機内から出た瞬間

ムワァ〜

なんですか、コレ?
「奈良健康ランド」じゃなくて「関西空港」ですよね?

しまった、この時期の日本は8年ぶりやった・・。

立ってるだけで鼻血が出た。
こんなに暑かったっけ日本て?

いま、「たこ焼き」はいらん。

2010/07/25

ハカマ

工房からありとあらゆる荷物を全て船便で送り出し
袴に着替え親方にお礼をして工房を出た。
8年の長い間イタリアでの修行を終えて日本へ帰る。
理由は様々やけど、5年ZULLO親方に世話になった。
日本からのオーダーを全て作り終え飛行機に乗る。
思えば長いようで短かったなぁ・・

<ローマからの機内で思うこと>

2002自転車作りの修行を決めてイタリアへ。右も左もわからなかった20代後半、あっという間にアラフォーなんて言うところにばっちり収まって頭の毛がちょいと薄くなってきた・・。8年間、ただただ最高のフレームビルダーになりたい一心でなりふり構わずひた走った。ミラノから始まり、CASATIさんのところでは事務員のクリスティーナと柔道仲間になったり。トレントのサンパトリニャーノの施設では某有名メーカーの下請けをやって、ペゴレッティのグラフィック塗装も施設でやった。それからヴェローナのZULLOさんとこ。たしかトレントから最後の引っ越しはオンボロのベスパで工房のあるヴェローナまで真っ暗な中を走ったっけな・・。

自転車、それは人の生命をも左右するその作品でたった8kgの道具が80kgの人間とその脚力だけで時速60kmを可能にし200kmの距離を移動する。この人類の発明したすばらしい道具をいまだ延々と試行と改良を重ね手作りしている人たちに出会った。レースに培われた土壌があるこのイタリアで少しでも軽く強く美しく作品を作るひとたちがいた。またそれを支える文化があった。

それに出会うことが出来た喜びと知る事のおもしろさ、当初はそれだけで幸せだった。恩師のすることのまねからはじまり、おっかなびっくり自分の持っている引き出しを開けていろいろな困難を乗り越えてゆく。それを自分なりに改良していくと自分なりのスタイルが出来上がってゆく。ある部分では師弟は同等の立場になることがありまた立場が逆転する場面もある。習う立場から時には教える立場になる。恩師が私に教えたように誰かに教え伝えるのが責務であるとも思えるようになってくるとなんだか当初のようにワクワクしっぱなしというわけには行かなくなる。

無給で働くこと8年、途中いろんなオファーがあったがいちど師を決めたら全てを吸収するまで動かないのが私の信念で名のあるメーカーからのオファーを断り続けてこのZULLO工房に居続けた。つぶれかけていた工房はいろんな人の助けで再び羽ばたいた。羽ばたいたら工房も潤ってくるにちがいないと気張った。じり貧だったので家を引き払い家賃を材料費にあて自分は工場で寝ることになったりもした。年産100本のフレームという目標をたてて3年後の昨年なんとか到達した。この数字、制作することは簡単にできるが「売る」ことが難しいのである。 ちなみにこの工房では完全に受注生産なので「作れる」と言うことは「売れた」ということである。

その道35年の職人と駆け出しの日本人はすばらしいコンビで新しい試みを次々に実現していった。世の中はカーボン一色の時代に伝統工法で自社でお客の体格や好みに合わせて制作する特注専門の工房へと変化した。ちょうど全世界的にインターネットが普及し個人が国境を越えダイレクトに工房に注文が出来るようになった時でもあった。アメリカをはじめオーストラリア、カナダ、ドイツ、フランス、イギリス、スペイン、ハンガリー、シンガポール、台湾、そして日本へと次々にフレームは送り出され数年後には見本市で高い評価を得るようにぐんぐん有名になっていった。

その反面なぜか寂しい気持ちがムクリとやってきた
ブランドを育て一人歩きするようになるとなんか自分のすることは終わったような気分になったものだ。いろんな雑誌社が取材に来るがZULLOというブランドは親方の名字である。評価が上がれば上がるほど寂しい気分になった。親方が身長や体格からフレームの各サイズを算出しプレカット、溶接を担当しヤスリ掛け小物溶接と溶接仕上げをどちらが手の空いている方が担当。仕上がったフレームへの塗装は全て私が担った。日本人向けにはイタリア人の手による100%イタリアンが好まれるようで私は表には出ずデザイナーということで自己紹介をしたものだ。

工房ではお互いをマエストロと呼びあい、いつの頃からかヴェローナの方言を喋る自分になっていた。どうしたことか「じり貧」の私にお嫁さんも来てしまった。このままじゃマズイ、特に経済状況が最高に良くない。当初の念願だった到達すべき所には着いた、長く同じ道を続けて走っているといつの間にか自分が臆病になっているような気分になってしまう・・ホントはそうなのかもしれない。ここは思い切って方向を変えてみようと思ったらおじさんが病気になった。チームワークはガタガタになって生産がストップ、私は日本人のお客から大夫と怒られたものだ。その冬、猛烈な寒さがやってきた。連日の氷点下で暖房のないねぐらはまるで雪中キャンプだった。私はVISAがもらえず家が借りられないとういう事態になって半年が経っていた。さすがに不法滞在を重ねるわけにもいかずクリスマス後に日本へ帰らざるを得なかった。

ようやく暖かくなってきた頃、雑誌取材通訳で現地へ飛んだ。すぐさま工房へ行って、もらった注文分の制作にあたる。工房で2ヶ月フルに働きもらった注文の全てを発送し肩の荷が下りた。評価をいただけるのはうれしいが注文を取り次ぐと親方が身を削って制作にあたる。これではなんかイジメているようで心苦しいくオーダーの受付をやめようと思った。全てのオーダーを終えた今ならノーと言えると。

といろんな事を考えてマエストロ・ズッロが教えてくれた事を自分のブランドに活かしたいと考えるようになった。
今まで応援くださった皆様には大変感謝しつつ日本へ帰国することを決意。ZULLO工房は今後も存続いたしますが私の取り次ぎ業務は一端終了いたします(日本国内で私が塗装できる可能性を探っています)
私は8年前にミラノから始まったようにもう一度、日本でゼロからスタートです。






2010/07/14

グローバル・テレコ

あっという間のプーリア滞在、
「旨いオイルを探せ」をテーマにたくさんの農家やその関係者にお世話になりました。
オイル事情の深い話が聞けました。

とにかく輸出されているオリーブオイルのほとんどはTAGLIOと呼ばれる
エクストラにカテゴリーされないオイルを酸度の低いオイルで割って全てをエクストラとして輸出してる話や、味の濃いコラリーノ種の用途はほぼ全て味のないオイルへの味付けに使われる話などてんこ盛り。

結論:生産者である農家が自家用に作っているものはやはり「旨い」ということでした。
(詳しい話はまた今度、整理して発表します)
世界一のオイルを探せツアーも今日が終わりです
よる800kmをクルマで北上して工房へ戻ります


工房では残務がすこし・・日本行きフレームでとんでもないことが起こったのです
「旨いオイルを探せ」ツアーの前に全ての制作を完了してZULLO氏に託した発送。

先週お客さんから「箱を開けたら絵画でした」という連絡

うん?

絵画?

はて?

国際輸送では二つの国を跨ぐため出発国、到着国ともに関税を通過する
海外旅行みたいなもんで発送品はイタリアを出る手続きをして日本へ到着し所定の手続きを経て指定の住所へ運ばれる。だから書類によってはイタリア語だったり英語だったり日本語だったり。

しかし、だ。あるところでウチが出した箱と他の人が出した箱がテレコになるって
それ、マンガみたいやん。
日本じゃ起こりえないと考えるのは日本人びいきしてるワケじゃない。
経由するドイツも国民性を考えるとなんとも考えにくい。
残る選択肢は・・・

イタリア      

大いにあり得る。

そんなあり得ないことが日常茶飯事的に起きるのは イタリアしかない。
出発前のイタリア税関、ここで荷物の取り違えを起こしたとしか考えられない
箱に貼り付けてある通関書類が何らかの拍子にこぼれ落ちて近くにあった箱に適当にほうり込んだと思われる。 もしくは公務員の賃金値下げに対抗する新手のストライキなのか?
ま、人の為に働くという概念を持たないイタリア人だから後者かも知れない。

本来カナダに着くはずの絵が東京に着き、東京に着くはずのウチの商品がカナダへ送られてしまった・・・えらくグローバルに迷惑な話である。
イタリアで働く、イタリア人と働くって一事が万事こんな調子。
あり得ない間違いをきちんとお約束通りやってくれる、吉本新喜劇みたいや。

さて、このカナダと日本の入れ替え どうしようかな。
帰りみちみち考えるとしよう。

2010/07/06

切り抜き

海に行ってきました
しばらく眠ってた写真の感覚が少し戻ってきたよう。



どんなかんじやろ?

ボスコじいさん

さてオリーブオイルの品質についてお話しします、
といっても生産者のボスコさんの受け売りですけど・・・。

まず始めにオリーブオイルってオリーブの実をしぼったものだってこと知ってました?
もちろん油成分以外の水分も出てきますけどこの油成分のみをとりだしたものがオリーブオイルです。

さてそのオイルの表記とカテゴリーについてです。
まず酸度が基本的な指針になります。この酸度でオイルのカテゴリーが決まります。
0.9%以上の酸度がある場合はオリーブオイルとなり0.8%以下の場合はエクストラ・バージンオイルと呼ばれます。
収穫される年の季候や時期に左右されますがこのオリーブ園では平均して0.2~0.3%の酸度を記録していますから抜群の品質であることは間違いありません。もちろんエクストラバージンオイルと言われるカテゴリーに準拠します。
ちなみにバージンオイルというのはオリーブの搾りたてのオイルを指し、このほかにとことん搾る、一度搾ったオリーブをもう一度搾る工程で得られるオイルと混ぜ合わせる単に「オリーブオイル」と言われるものもあります。
ですから初搾りのみを使う「バージン」 でありながら酸度が規定値以下である「エクストラ」なオリーブオイルを
「エクストラバージンオイル」と呼びます

さてもう一つイタリアを含むEU連合のワインや農産物に付加される表記があります
それは現地種保全規格「DOP」と言い 原材料であるオリーブの樹種が限定された地域に生息する種であること
この農園の場合はオレオリカ・ガルガニカ種のオリーブでこの地域に限定された種類であることがEU連合で承認されています
また収穫から製造に至るまで現地で行われていることが必要で先の品質も含めてこの「DOP」というカテゴリーが付与されます。この「DOP」というのはイタリア語で、Denominazione Origine Protetta の頭文字を取ったもので、直訳するとDenominazione=種類、Origine=原産地、Protetta=保護 となります。
通常、その地域でしか育たないブドウを原料にしたワインなどに多く使われます。


さてもう一つは風味、「味」です
こればかりは数値で表記することは出来ず表現が難しいのですが、このみち50年の農家のLORENZOさんは言います
ーーー「数値ばっかり気にして酸度の低いオイルより、オレは少々酸度が高い方が旨いと思うよ。
なんていうか、こう酸度が低いのは味わいが薄いというか・・僕は少々酸度が高いオイルのほうが好きだな。
ウチのは十分酸度は低いしいわゆる高品質オイルになるわけだけど実はあんまり酸度にはこだわってないんだ。
それより風味だね、酸度が低いオイル=高品質というのは納得できないな。酸度が低くても豊かな風味を持っていなければダメだね。澱(オリ)がすこし出るくらいの新鮮なオイルは喉ごしがいいし風味もいい」ーーー
と言うわけです。現代社会では人間の感覚に頼る部分を数値に置き換える癖があるようで人間の感覚はその上を行くということをみな忘れているようです。ま、簡単な話が農家の人が自分用に使うものが一番旨いということなんでしょう。

広大なオリーブ園の真ん中にある彼の小さなレストランで出されたオリーブの漬け物
小振りな実を塩漬けにしたものだけど、味が凝縮されていた。
完璧は不完全のなかにあると言うことでしょうか?
自転車作りと一緒ですかね・・・。



2010/07/03

ハエ

南イタリアのプーリア VIESTEという地方にいます

本日オリーブ農園を訪問してきました
予てから要望のあったオリーブの葉っぱですけど
農薬を使うかどうかと言うところで説明がありました

オイルの酸度をあげる主な要因はハエで卵をオリーブに産み付けてしまいます
これが酸度を上げる要因になります
この対策として7月から8月に掛けて2回ほど(他の農園では4〜5回)
最小限の農薬散布を行います

農園ではオイルの他にオリーブの葉を原料とするリキュールを製造しています
このリキュールに使用する葉は散布する樹とは別にして無農薬で葉を採取します
オリーブの葉っぱを使用したリキュール

葉っぱについては採取可能です、さて問題の樹種ですが
OGLIAROLA GARGANICA オリアローラ・ガルガニカ
と言います。 この地方独特の種類でオリーブの実は小振りです


バイオ栽培への取り組みも挑戦中ですがやはり酸度を上げてしまうハエとの戦いに有効なのはやはり農薬
しかし酸度にこだわらなければ無農薬も可能だといいます
酸度の数値化がオイルの絶対価値ではないと農家も言ってますが残念ながら現在の市場はこの数値が優先されるようです。農園の主、BOSCOさんはアンチ農薬派で現在も農薬に変わる違う方法でハエ退治はできないものか研究しています。

樹齢400年を超える古木も多く広さ100エーカーの丘に囲まれた農園からはアドリア海が望めます
農園の中央斜面に築800年の家を改装したレストランを経営、農園でとれたオイルをふんだんに使った料理が楽しめます

この地方の郷土料理はコチラをご覧ください(今回取材写真を全てアップします)


農園では今年の収穫分の予約を受け付けています
また[オリーブの樹まるごと予約]も可(およそ30L)
ご興味ある方はご連絡ください

次回は収穫されたオリーブを搾る作業所を取材する予定です
ビーチでゆっくりしてからね。

2010/07/01

ズッパ

今週はオイルの話でプーリアに飛んでます







ネットがないので写真でどうぞ。