2015/03/07

マリア



昨年ドイツで開催されていたユーロバイクの帰路、ボーデン湖からVERONAを目指し列車で南下する。クルマだと結構簡単なのだが列車は結構ややこしい。
まず、会場のあるドイツからオーストリアとの国境の街ブレゲンツで乗り換え、オーストリア国鉄のインスブルック方面行きに乗る。このブレゲンツはオーストリアの西の端だからウィーン行きでもインス行きでもどちらも正解。しかし列車は乗り継ぎが悪く結局インスブルックに着いたのは夜半で1泊して翌日ブレンネロ峠駅行きに乗る。ここはイタリアとの国境でここでイタリア国鉄に乗り換える。通して切符を買えれば良いが普通列車の場合は国ごとに買い求めなくてはならない。結構大変である・・イタリアに入って見慣れた風景が目に飛び込んできた、数年を過ごしたトレントである
ユーロバイクの会場のあるボーデン湖
対岸はスイス 湖畔の南側はオーストリアだ
途中インスブルックで泊まり、いつもお決まりのアップルパイを朝食に頂く
チロル地方の定番スイーツだ(オレはこのパイが大好きだ)

ブレンネロ峠へ向かうオーストリア国鉄からの車窓
その昔、自作の木製自転車であの道をイタリアから下っていったバカがいた

哀愁のイタリア国鉄は相変わらずボロい
オーストリアから乗り換えるとその差に戸惑うけどその無骨さが好き

ブドウ畑が出てきたトレント北部
谷にはリンゴとブドウの畑 列車はVERONAへひた走る
トレントで途中下車
ここで途中下車したには訳がある・・今回の旅のちょっと前に衝撃的なニュースを耳にした。ここトレントにあったサンパトリニャーノの支部が閉鎖されたということだった。サンパトリニャーノとは、イタリア社会に蔓延する麻薬中毒患者、アルコール中毒患者などを更正させ社会復帰をさせる団体でヨーロッパに知れ渡る大きな組織だ。タイトルを[マリア」にしたがマリエッタ・ジャージの意味 ではない。マリアは隠語で「マリファナ」を意味する。 その施設で彼らは職業訓練の一環としてワイン製造や馬の飼育、特殊なものでは高級壁紙を作ったりもしていてその壁紙はアメリカ・ホワイトハウスにも使用されている。実はそこに自転車製造部門があった。チネリ・レーザーをデザインしたアンドレア・ペゼンティーやカレッラのルチアノ・ブラッキ、ダリオ・ペゴレッティーなどそうそうたるメンバーが出入りしていた隠れた工房でもあった。私は渡欧した翌年からここで働き、各社の下請けの仕事をそこの若者達と一緒にやった懐かしい場所である。後のZULLO氏との出会いの場でもあるこの工房が支部ごと無くなってしまうというニュースだった。そこにはペゴレッティーの弟ジャンニが職員としてフレーム製造を管理していたはずだった。私はそのジャンニ・ペゴレッティーに会いたかったのだ。
サンパトリニャーノ閉鎖! の紙面

久々に再会したペゴレッティの弟ジャンニ(右)
彼がデザインの一切を担当して現在のPEGORETTIがある
私は彼をバイクデザインの先駆者として尊敬している

当時、兄ダリオは溶接講師として施設で教えていた
その施設で私たちが塗装を行っていた

リミニの本部は1500名に対しここトレント支部は150名程度
ホテルと間違うようなきれいな宿舎でもちろん塀はない
皆すすんで4年の更正プログラムをこなしていく

CARDONAZZO湖 トレントから20km SGANA谷を行ったPERGINEという街の近く
この湖を見下ろす丘のうえに宿舎と工房が建てられていた
列車を降りると懐かしい顔があった。ジャンニ・ペゴレッティーだ。私を車に乗せカルドナッツォ湖へと走る。ジャンニは奥さんと2人暮らしで子供はいない。施設で息が詰まるとよく私を泊めてくれた湖畔の古い彼の家は改装されてモダンになっていた。


施設の閉鎖はやはり彼にとってもショックだったようだ・・兄と弟でブランドを起こしたあの当時とは馬力が違うと説明してくれた。しかし抜群のデザインセンスをもつジャンニだったらできるのではないかと言うと、彼は へっへへ・・と薄ら笑いをしながら新しい作業場を見つけて準備をしていると言う。サイズオーダーのカーボンバイクで製造を開始する。彼のすることだから、きっと見慣れたバイクにならないだろうとワクワクしてします。「カーボン」と聞くと拒否反応をする人もいるかも知れないがその辺の話はまた今度ゆっくりしよう。 ここで過ごした数年、彼とサンパトリニャーノの若者達に感謝し彼らが二度と人生を誤ることなく何処かで生き生きとしていることを願う。


<季刊誌CYCLEに寄稿した当時の施設での話>

まるでリゾートのような印象だったその工房・・がそれもそのはず。そこのスタッフの説明で元麻薬中毒患者達の作業所で職業訓練が主な目的で運営されているサンパトリニャーノという施設の一部だったのだ。入所者は寝食を共にし4年間でその道の専門性を身につけ社会に復帰する。麻薬に人生をむしばまれ現在は手に職を付けるために黙々と働いていたのだった。花を栽培するコースや盲導犬を育てるブリーダー、ミラノサローネに出品されるチェアやテーブルを作る木工所も併設される。フェンスも塀もない敷地に建つリゾートホテルみたいだと思った建物は彼らの宿舎であった。私は修行の目的で渡欧したが製作現場にまだ飛び込めない焦りもあり施設にいる若者達が逆にうらやましくも見えたものだ。

その若者達を束ねるピエトロという男は私の木製自転車を見るや所長に会わせてくれ、私がイタリアに来た理由を正直に言うとここで働けと言う。しかし、どこに住んだらいいのだ? 麓にあるサクランボと林檎畑以外はアルプス山中でアパートどころか住居さえまばらである。考えあぐねていると「おまえさえ気にしなければ、若者と同じフロアに1部屋空きがあるからそこを使えばいい、あと3食もつけるぞ」というではないか。所長面談が終わるとピエトロは私に「うまくやったな!」とニコニコして言い私はそのままの旅行スタイルでその日から泊まり込みが始まった。

その山中の工房へ自転車業界の重鎮達がよく出入りした。イタリアを代表する多くのブランドが手間の掛かるフレーム製造をこの施設に委託していたのだ。私たちが製造した中にはGIROやTOURに出る選手のフレームなどもありレース中継で見ることもよくあった。デザインと品質管理が私の主な任務だったがその傍ら塗装をしたり溶接したり元ドラッグジャンキーたちと徐々に仲良くなっていった。常に彼らと過ごすうちにあまり上手ではなかったイタリア語も磨かれ、彼らの身の上話を聞きながら作業に当たる。VERONA出身のフェンシ-という男は仕上げを担当、彼はドラッグの購入資金のために銀行強盗を4回もして逮捕され施設での更生中だったが私にヤスリのかけ方以外に「その」方法もしっかり教えてくれたりした。イタリアは今だコネが重要な社会である。そのコネを持ち合わせていないと努力が認められないというより自分の能力を表現する場所にさえ巡り会うことが難しい。確かにドラッグに手を出すほうが悪いといえばそうなのだが容易に手に入ってしまう社会なのだ。彼らと接しているうちにそう簡単な問題ではないように思える。私はアルプスの雄大な景色の中、自転車製造を通してイタリア社会の深淵に突然ほうり込まれたようだった。
みな、私にイタリア語(他にもいろいろ)を教えてくれた


2015/02/12

スタラベンナ

このおじさん、フレームを作りを始めて40年になる
成長期の80年代からパタリと売れなくなった90年代、時代を通していろんな自転車を作ってきたZULLO氏

去年工房を訪ねたとき彼の生家と初めてフレームを作ったガレージを案内してもらった
これがその場所

ベローナの町までかなりの距離と勾配
街に出て友人と遊ぶにはその都度自転車で1時間かかる
およそ800mの標高差をほぼ毎日走ったらいつの間にか州代表の選手になった
(本当は彼女に会いに行っていたらしい・・帰りは真っ暗で死ぬ思いを何回もしたと言っていた)



大きな地図で見る
マップで散歩してみて!


ドイツまで続くアルプスの山々はVERONAの北、
おじさんの生まれ育った場所から山がそびえる

VERONAといっても山岳地帯そのもの

76〜78頃そこで作っていたフレームを再現することになる
40周年記念で全世界限定40本の1976モデル
(溶接小物が手配できないので本当はもう少し少なくなるかも)
ちなみに初号機は東京目黒のNUKAYAクラシコさん行きが決定!
既存のVintageをベースにフォーク・クラウンやシートステーも今回特別にあつらえる。当時よく使われたシートステーのダブルコーン:上下両方が優美に細くなっているものをコロンブスに特注している。シフトワイヤーもBBの上を通すのもすご〜くクラシック! もちろんロゴ書体もこの時代のものを復刻する。

こうご期待

2015/02/11

ダイダイ

年末も最後の大晦日の31日、極貧家庭のウチに大事件が発生



そう、チビが誕生した・・うわ!どないしよ・・自転車は山のように作ってきたがコイツは初めてだぜぇ。 しかも 「う*ち」 しやがる。
あたふた、あたふた・・おぎゃぁ〜!
しかも 高射砲が付いてるのでオムツ換えには狙い撃ちされないよう細心の注意が・・

だいだい色の 橙(だいだい)と名前を付けた。
木に登ると書き、まっすぐで熱いイメージ。温厚な性格を期待。
ZULLO氏もかなり喜んでいる模様、いつか彼を連れてイタリアを回ってみたい。



クラシコ

クラシックフレームに合うステムとピラーが日東製しかなくイタリアというこだわりを持つユーザーさんから要望を頂いていたアルミポリッシュのパーツを準備してる。ただし昨今のハンドルバーはオープンタイプのステムを基本にしているので曲がりがキツく本当の片開きビンテージステムだとバーが通らん!そこでオープンタイプのステムを彫刻して磨いてみた。これならクラシックな雰囲気を損なわない。

ステム 80mm\100mm
  (ハンドル25.8ー26.0mm)
2本締めピラー 27.2mm


2014/09/09

オリジナル

ドイツでの見本市を終え イタリアに
工場は移転したけど懐かしい場所と人々。建物は古いけどなんかピッタリ。

今回は身重の奥さんを置いて一人旅(またか…) おじさんに再開し40年前に創業した場所へ連れて行ってくれた。


早速、工房では溶接に色塗り デザインなんかがドッサリ。

10日ほどの滞在ですが勘を取り戻しつつ頑張ってるで。自転車に乗るのと一緒で一度できるようになるといつでも出来ちゃうもんだよね。イタリア語も日本にいる時はほとんど使わないけど長年居たのでもう忘れないのといっしょやな。



2014/09/03

ブレンネロ

帰国後 初めて成田から飛行機に乗った
行き先はスイス チューリッヒ
ドイツへ電車で移動してヨーロッパ最大の自転車ショー「ユーロバイク」が開催されるボーデン湖へ向かった



その後またしても陸路 電車を乗り継ぎイタリアを目指す。以前ならレンタカーで移動なのだが今回はイタリアからのフライトでローカル線を乗り継ぐ。まるで青春18切符の旅やん。

オーストリアインスブルックで1泊、翌日ブレンネロ峠を越える。途中の車窓から木製自転車で峠越えをした10年前に通った道を眺めた。

トレントに寄って、ジャンニ ペゴレッティに会い泊めてもらう。昔 一緒にいたSanPatrignanoの話で盛り上がった。ちなみに、フレームビルダーとして有名なペゴレッティは彼の兄で以前は一緒に働いていた。

10年前に比べてみると やっぱ歳とったなぁ。。現在はカーボンバイクのカスタムをしている


Zullo工房の近くの村 サンジョルジョ
ここから数分の場所

工房が新しくなった というが。。場所が変わって建物は古くなってるやん。でも前のとこより雰囲気があってイイ。


到着した次の日から、手伝です。
おじさんは元気でよかった。
日本からのオーダー 頑張りまーす。

つづく

2014/09/02

ポア

イタリアの現地工房へ打ち合わせ出来ました
新しいジャージが上がってましたが皆さんいります?

¥12500 送税込 

ご連絡はメールで!
サイズもお忘れなく。