帰国して信州に住んで3年
近隣に結構スゴ技の持ち主がいる
スピーカーを作る職人や、オーダー家具職人、漆器など多彩
当初は自転車の展覧会を企画したがコレはまず地域のスゴ技展覧会をしたいと思ってん。いま、求められるのは日本製。ヨーロッパ由来のモノでは無く日本のモノづくりを生かした古くも新しいもの。”ジャポニズモ”とでも表現しようか・・ 伝統的な技術やコンセプトを生かし完成度が高く、”美しいモノ” の展覧会
諏訪湖の湖畔にたたずむ美しい建物“片倉館”
以前は片倉工業としてシルク号と呼ばれたレース自転車を製造していた
自転車とは縁の深いこの建物で開催する
“シルク号”の特別展示もあります
BIDA2015の詳しい情報はこちら↓
https://www.facebook.com/bida2015open
10/17〜18 入場無料
場所は国の重要文化財指定の“片倉館”200畳の大広間
通常はなかなか入れない場所である
http://www.katakurakan.or.jp/about_us.html
2015/04/25
エスプリ
ウチの大事なお客さんからお題が出た。
カッコいいバイクを一つ・・予算はノーリミット
さて。。60歳代のこのお客さんに何を作るか。 自分がその歳になったときどんな自分だったらカッコいいのか想像してみた。
<60代になっときの妄想>
仕事もピークを過ぎ趣味程度にチャリを作る。ときどき近所を乗り回すがモーターバイクを乗る機会が増える。青春時代のVERONAに行くが世話になった人たちはもう逝ってしまって行こうと思わなくなる。本場のパスタより奥さんと行く近所のイタメシがちょうどいい。30年前にミラノで買った派手なシャツも歳が行き負けない風格がでる。チビが巣立ち奥さんと一泊程度の小旅行に行くようになる。もう自宅改装の資材を運ばなくて良いのでトラックを手放し、オープンカーを買う・・・
そうだ! オープンカー だ。
この人と話していたら昔オープンカーが欲しかったと話していたような気がする。そんなイメージでバイクを作ってみたらどうだろう? 御年60の紳士に「カッコいい」を主張する過飾は必要無い。上質でさえあればそれがまとう「美しさ」でほのかに香る格好良さを狙う。ツイードのジャケットを羽織った紳士からオーデコロンがほのかに香るアレである。決してロゴがいっぱいのレーシングカーではなく無印のロードスターが似合う。
ZULLOチタンフレーム : 90年代東西冷戦が終わりそれまで軍需専用だったチタン素材が一般的に使われるようになった。当時プロツールに供給していたZULLO氏、選手からのリクエストで山岳ステージ用軽量バイクとして製造した。ソビエトから取り寄せたチューブで作ったフレームはあまりに軽くできてしまいUCI規定をパスできず出走不可。それはレース用試作フレームであって「危なっかしくてだれも乗りたがらねぇ・・」とその後工房でホコリをかぶって20数年。まるで”紅の豚”の飛行艇である。
ホイール : これもZULLO工房オリジナル。スポークの固定方式がユニークでフロントホイールのラジアル組みは普通だが、なんとリヤもスポークがクロスしないオールラジアルで組まれている。これも90年代にZULLO氏が作ったユニークな構造のハブで当時のシマノ8Sボディー。シマノは8S-10Sまで互換性があるのでこれに10Sを入れてある。タイヤは25Cで快適性アップ。ポンプアップの回数を減らして空気入れ忘れてもパンクしにくいだろうと”ちょっ太め”
駆動系 : さすがにシングルスピードはこの紳士にはキツイ。リヤのみの10Sを使ってフロントをシングルギヤに変更 溶接されていたFD台座は削り落とした。ただし、そこは紳士仕様なのでチェーンリングガードでパンツの裾をギヤに食われるのを防ぐ。このリングガード、既存のものはデザインが野暮ったい。ここはもともとのアウターリングを加工、歯を取り去ったものを用意した。
ハンドル : アイキャッチになる木製のハンドルバーはイタリアGHISALLO製のカーボンハイブリッドバーで振動をかなり軽減してくれる。ここはしっかりとレーシングバイクではないところをアピールする。クルマで例えるならコーナリング性能のためにショックで足回りを固めるのではなく快適性を重視したノーマルショックを選択するようなもの。ちなみに”ニギリ”が無いのはショックを十分吸収できると踏んだから。しかもこの紳士、蕎麦打ちの達人で麺棒をいつも握っているので違和感はないだろう。
シート : ブルックスの本革を行こうかと思ったがかなり使い込まないと“痛い”。快適を主眼に置くとこの天然ゴムのハンモック構造である”カンビウム”がぴったりだ。またシートピラーは昨今珍しくなった26.8mm径で種類も限られるので”TOMTHON”を採用したが”TOMTHON”ロゴがアメリカンを主張する・・アルマイトでブラックにしてこの”アメコー”を黙らした。
革巻き : ウチの工房のある長野県は伊那谷、ちょっと南に下ると“駒ヶ根”とか“飯田”なんてとこがある。そこに革の工房がたくさんあって今でも国産高級車の革ハンドルや革シートを作ってるって教えてもらった。そこに出入りしてる仲間に頼んでハンドル職人に革を巻いてもらった。ステッチの色を変えてそれを見せることも可能だが、そこは”紳士仕様車”だからステッチも同色に近い色で見えない位置に配置する。部分的な主張を抑え全体のまとまりを優先した。 革にあるマークは次回 色無しの”型押し”にしようとおもう。
重量 ; チタンフレーム+フロント変速機がないので ”すんげぇ軽い”
カッコいいバイクを一つ・・予算はノーリミット
さて。。60歳代のこのお客さんに何を作るか。 自分がその歳になったときどんな自分だったらカッコいいのか想像してみた。
<60代になっときの妄想>
仕事もピークを過ぎ趣味程度にチャリを作る。ときどき近所を乗り回すがモーターバイクを乗る機会が増える。青春時代のVERONAに行くが世話になった人たちはもう逝ってしまって行こうと思わなくなる。本場のパスタより奥さんと行く近所のイタメシがちょうどいい。30年前にミラノで買った派手なシャツも歳が行き負けない風格がでる。チビが巣立ち奥さんと一泊程度の小旅行に行くようになる。もう自宅改装の資材を運ばなくて良いのでトラックを手放し、オープンカーを買う・・・
そうだ! オープンカー だ。
駆動系 : さすがにシングルスピードはこの紳士にはキツイ。リヤのみの10Sを使ってフロントをシングルギヤに変更 溶接されていたFD台座は削り落とした。ただし、そこは紳士仕様なのでチェーンリングガードでパンツの裾をギヤに食われるのを防ぐ。このリングガード、既存のものはデザインが野暮ったい。ここはもともとのアウターリングを加工、歯を取り去ったものを用意した。
ハンドル : アイキャッチになる木製のハンドルバーはイタリアGHISALLO製のカーボンハイブリッドバーで振動をかなり軽減してくれる。ここはしっかりとレーシングバイクではないところをアピールする。クルマで例えるならコーナリング性能のためにショックで足回りを固めるのではなく快適性を重視したノーマルショックを選択するようなもの。ちなみに”ニギリ”が無いのはショックを十分吸収できると踏んだから。しかもこの紳士、蕎麦打ちの達人で麺棒をいつも握っているので違和感はないだろう。
ステム : ロードフレームにドロップバーで確保するライダースペース(ハンドルからサドルまでのスペース)はこのベンドバックする木製バーでは確保できないので125mmという長めのステムでスペースを補った。ステムは往年の名品、3tttトップモデル”RECORD84”アルミ鍛造ステムで細身だが鍛造品なのでしっかりしている。
シート : ブルックスの本革を行こうかと思ったがかなり使い込まないと“痛い”。快適を主眼に置くとこの天然ゴムのハンモック構造である”カンビウム”がぴったりだ。またシートピラーは昨今珍しくなった26.8mm径で種類も限られるので”TOMTHON”を採用したが”TOMTHON”ロゴがアメリカンを主張する・・アルマイトでブラックにしてこの”アメコー”を黙らした。
革巻き : ウチの工房のある長野県は伊那谷、ちょっと南に下ると“駒ヶ根”とか“飯田”なんてとこがある。そこに革の工房がたくさんあって今でも国産高級車の革ハンドルや革シートを作ってるって教えてもらった。そこに出入りしてる仲間に頼んでハンドル職人に革を巻いてもらった。ステッチの色を変えてそれを見せることも可能だが、そこは”紳士仕様車”だからステッチも同色に近い色で見えない位置に配置する。部分的な主張を抑え全体のまとまりを優先した。 革にあるマークは次回 色無しの”型押し”にしようとおもう。
ESPRIT |
重量 ; チタンフレーム+フロント変速機がないので ”すんげぇ軽い”
え? 何グラムかって? >> こちら
こんな感じのジャケットとか・・ |
あ、これ オーピンカーには必須ね |
洒落がわかる紳士にこの ZULLO [ ESPRIT ] エスプリ のススメでした
ZULLO [VERONA ITALY] サイズオーダーフレームの詳細はこちら
オレも洒落のわかるそんな紳士になりた〜い・・・ 妄想しよっと。
2015/03/28
レジナ
山形へ採寸旅行なのだ。
西は九州熊本まで行った事があるけど、東は東京までだった。 東北で初めて依頼があったので行ってみたら どえらいコアなお客さんが歓待してくれてん。
自転車歴12年だけど、出されたお題は「SuperRecord」!
新品ですやん! しかも当時の箱入り
フリーはさすがに無いだろうと思ってたら、レジナ フテゥーラ コンプリート でチェーンもオロ と来た! 自転車歴12年ではない臭いがプンプン… どうもお友達にマニアがいるらしくそのマニアック度がハンパないらしい。
フレームは ZULLO 1976SPECIAL を用意してと。。サドル どうしようかな?
コンコール か チネリ シロ… 迷うぜェ
2015/03/27
トリコロール
カッコいい FIGATA と訳される、オレみたいにカッコいいオトコ(笑)はFIGONE(FIGOの最上級)フィゴーネ と言い、女性ならFIGAという。ちなみに辞書を引いてもちゃんと載っていないぞぉ。 さて、その格好良さだが人によって様々だ。ただし「美しい」とか「カッコいい」なんてのは相対論であるところも大きく「一般的ではない」=珍しい ということが第一条件である。
むかし、ミラノに住んでいるときに骨董市で買い求めた古着のツイードジャケット。たった5ユーロだったがまるであつらえたようにぴったりだった。家に帰って仕立て屋のシェアメイトに見せると目を白黒させてうらやましがった。今でも良く着るジャケットの1つだがそれを5ユーロだと隠すことなく白状することにしている。人に威張るならアルマーニかも知れないがこの無名のツイードのほうが好きだ。
カッコいいとはどういうことなのだろうか?
身の丈に合ったモノをまとい、人の価値観に左右されない自分の物差しをもって物事を判断する。その価値観に他人の同意を必要とせずまた他の物差しを批判することもしない。・・ということのような気がする。だからオレは「イタリア製」だからといって国旗を付けなくてはいけないと言うのにはすこし抵抗がある。実際、フレームに付いているイタリアの国旗はものすごく小さく描くし、でっかいトリコロールを付けてくるブランドはそのステッカーを剥がしてしまうことも多い。日本製のカメラや自動車、自転車でもいいが日本の「日の丸」が付いているとちょっと「ダサイ」と感じるのはおれだけなのだろうか? 万が一にもフェラーリを買うことがあっても日本のナンバープレートの下にイタリアのナンバープレートを挟まない。それこそがモノがどこから来たということが自身の思う「格好良い」価値観を支配しているように思えてならない。
イタリア製だからカッコいい という漠然としたイメージが製品の本質をぼやかしているように思える。仮にZULLO氏が日本に引っ越したとしたらどうだろう?もちろんイタリア製ではない。過去には関西人のオレがイタリアで「メイドインITALY」と書いていたがそれは許されるのだろうか?
お客さんにカッコいいモノって?
これが難しい・・オレの持っている価値観をぐっと抑えなくてはならない。オレの趣向や好き嫌いを仕事に際してはオフにしなくてはならない。例えばオレンジ色の車体に黄緑色でロゴを入れたいというリクエストの場合、オレのバイクには絶対しないパターン。生理的にダメ。でも何故このリクエストが受け付けないのかをすこし掘り下げると、その2色が「補色」という真反対の色の関係になっている。色度のコントラストが最も強く、色温度も極端な差が出てしまい、製品を分割するように見える。これは「美術」という学問の上で論理的にNGなのである。
仕事に際してはオフにする自身の物差しだが、それによって冷静に対象である「ヒト」を見ることができる。自転車を設計する上では「お客さん」である。その「ヒト」と話をするところから始め、ありとあらゆるその「ヒト」についての情報を集める。お客さんの身体寸法をとるために遠くは九州、東北に足を運ぶのは採寸だけが目的ではない。使うヒトの持っている価値観を知ることがその人に合うカッコいいモノを創造する上でどうしても必要なのだ。
2015/03/07
マリア
まず、会場のあるドイツからオーストリアとの国境の街ブレゲンツで乗り換え、オーストリア国鉄のインスブルック方面行きに乗る。このブレゲンツはオーストリアの西の端だからウィーン行きでもインス行きでもどちらも正解。しかし列車は乗り継ぎが悪く結局インスブルックに着いたのは夜半で1泊して翌日ブレンネロ峠駅行きに乗る。ここはイタリアとの国境でここでイタリア国鉄に乗り換える。通して切符を買えれば良いが普通列車の場合は国ごとに買い求めなくてはならない。結構大変である・・イタリアに入って見慣れた風景が目に飛び込んできた、数年を過ごしたトレントである
ユーロバイクの会場のあるボーデン湖 対岸はスイス 湖畔の南側はオーストリアだ |
途中インスブルックで泊まり、いつもお決まりのアップルパイを朝食に頂く チロル地方の定番スイーツだ(オレはこのパイが大好きだ) |
ブレンネロ峠へ向かうオーストリア国鉄からの車窓 その昔、自作の木製自転車であの道をイタリアから下っていったバカがいた |
哀愁のイタリア国鉄は相変わらずボロい オーストリアから乗り換えるとその差に戸惑うけどその無骨さが好き |
ブドウ畑が出てきたトレント北部 谷にはリンゴとブドウの畑 列車はVERONAへひた走る |
トレントで途中下車 |
サンパトリニャーノ閉鎖! の紙面 |
久々に再会したペゴレッティの弟ジャンニ(右) 彼がデザインの一切を担当して現在のPEGORETTIがある 私は彼をバイクデザインの先駆者として尊敬している |
当時、兄ダリオは溶接講師として施設で教えていた その施設で私たちが塗装を行っていた |
リミニの本部は1500名に対しここトレント支部は150名程度 ホテルと間違うようなきれいな宿舎でもちろん塀はない 皆すすんで4年の更正プログラムをこなしていく |
CARDONAZZO湖 トレントから20km SGANA谷を行ったPERGINEという街の近く この湖を見下ろす丘のうえに宿舎と工房が建てられていた |
施設の閉鎖はやはり彼にとってもショックだったようだ・・兄と弟でブランドを起こしたあの当時とは馬力が違うと説明してくれた。しかし抜群のデザインセンスをもつジャンニだったらできるのではないかと言うと、彼は へっへへ・・と薄ら笑いをしながら新しい作業場を見つけて準備をしていると言う。サイズオーダーのカーボンバイクで製造を開始する。彼のすることだから、きっと見慣れたバイクにならないだろうとワクワクしてします。「カーボン」と聞くと拒否反応をする人もいるかも知れないがその辺の話はまた今度ゆっくりしよう。 ここで過ごした数年、彼とサンパトリニャーノの若者達に感謝し彼らが二度と人生を誤ることなく何処かで生き生きとしていることを願う。
<季刊誌CYCLEに寄稿した当時の施設での話>
まるでリゾートのような印象だったその工房・・がそれもそのはず。そこのスタッフの説明で元麻薬中毒患者達の作業所で職業訓練が主な目的で運営されているサンパトリニャーノという施設の一部だったのだ。入所者は寝食を共にし4年間でその道の専門性を身につけ社会に復帰する。麻薬に人生をむしばまれ現在は手に職を付けるために黙々と働いていたのだった。花を栽培するコースや盲導犬を育てるブリーダー、ミラノサローネに出品されるチェアやテーブルを作る木工所も併設される。フェンスも塀もない敷地に建つリゾートホテルみたいだと思った建物は彼らの宿舎であった。私は修行の目的で渡欧したが製作現場にまだ飛び込めない焦りもあり施設にいる若者達が逆にうらやましくも見えたものだ。
その若者達を束ねるピエトロという男は私の木製自転車を見るや所長に会わせてくれ、私がイタリアに来た理由を正直に言うとここで働けと言う。しかし、どこに住んだらいいのだ? 麓にあるサクランボと林檎畑以外はアルプス山中でアパートどころか住居さえまばらである。考えあぐねていると「おまえさえ気にしなければ、若者と同じフロアに1部屋空きがあるからそこを使えばいい、あと3食もつけるぞ」というではないか。所長面談が終わるとピエトロは私に「うまくやったな!」とニコニコして言い私はそのままの旅行スタイルでその日から泊まり込みが始まった。
その山中の工房へ自転車業界の重鎮達がよく出入りした。イタリアを代表する多くのブランドが手間の掛かるフレーム製造をこの施設に委託していたのだ。私たちが製造した中にはGIROやTOURに出る選手のフレームなどもありレース中継で見ることもよくあった。デザインと品質管理が私の主な任務だったがその傍ら塗装をしたり溶接したり元ドラッグジャンキーたちと徐々に仲良くなっていった。常に彼らと過ごすうちにあまり上手ではなかったイタリア語も磨かれ、彼らの身の上話を聞きながら作業に当たる。VERONA出身のフェンシ-という男は仕上げを担当、彼はドラッグの購入資金のために銀行強盗を4回もして逮捕され施設での更生中だったが私にヤスリのかけ方以外に「その」方法もしっかり教えてくれたりした。イタリアは今だコネが重要な社会である。そのコネを持ち合わせていないと努力が認められないというより自分の能力を表現する場所にさえ巡り会うことが難しい。確かにドラッグに手を出すほうが悪いといえばそうなのだが容易に手に入ってしまう社会なのだ。彼らと接しているうちにそう簡単な問題ではないように思える。私はアルプスの雄大な景色の中、自転車製造を通してイタリア社会の深淵に突然ほうり込まれたようだった。
みな、私にイタリア語(他にもいろいろ)を教えてくれた |
2015/02/12
スタラベンナ
このおじさん、フレームを作りを始めて40年になる
成長期の80年代からパタリと売れなくなった90年代、時代を通していろんな自転車を作ってきたZULLO氏
去年工房を訪ねたとき彼の生家と初めてフレームを作ったガレージを案内してもらった
これがその場所 |
ベローナの町までかなりの距離と勾配 街に出て友人と遊ぶにはその都度自転車で1時間かかる およそ800mの標高差をほぼ毎日走ったらいつの間にか州代表の選手になった (本当は彼女に会いに行っていたらしい・・帰りは真っ暗で死ぬ思いを何回もしたと言っていた) |
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マップで散歩してみて!
ドイツまで続くアルプスの山々はVERONAの北、 おじさんの生まれ育った場所から山がそびえる |
VERONAといっても山岳地帯そのもの |
76〜78頃そこで作っていたフレームを再現することになる
40周年記念で全世界限定40本の1976モデル
(溶接小物が手配できないので本当はもう少し少なくなるかも)
40周年記念で全世界限定40本の1976モデル
(溶接小物が手配できないので本当はもう少し少なくなるかも)
ちなみに初号機は東京目黒のNUKAYAクラシコさん行きが決定! |
こうご期待
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