2010/12/23

スペック

カタログに抜けてるスペックなんかの詳細を加えた版



PDF版はこちらからダウンロードしてね(12MB)

2010/12/22

ZULLOカタログ

膨大な工房の写真、フレーム写真と格闘してでけた。
とりあえずイメージカタログ、モデル名と写真をバインド

ZULLO 2011 Lineup 全15ページ(PDF8MB)

毎年モデルチェンジしないから写真は結構使い回しが効くが来年はそうはいかないだろう。

2010/12/14

海の色

大阪から自走で福岡、熊本とお客さんの採寸とお礼に(逆にお礼されてしまったりしました)伺い祖父母と父の墓のある鹿児島へ。たらふく叔母の経営地鶏屋で「トリ刺し」をおなかいっぱい食べさせてもらい東京から出張で来ている妹と合流。地元の吹上温泉で温泉につかり魚釣りをした。

自転車で走るには良い環境である、国鉄の廃線が自転車道に変わっていて家の裏には南北30kmの自転車道が走っている。国道や県道ですら道幅が広く路肩が何故か雪国のようにある。南の最果てだからか交通量が少なくなだらかな丘が続くエリアで自転車乗りにはたまらない。南さつま市(旧加世田市)にあるバイクショップ、「ポンテ」さんに寄ったら地域のサイクリングクラブの飲み会に招待された。まさにZULLO工房を取り巻くオッサンたちのフェスタに招かれるのとあまり変わらない感じで親しんだイタリアの雰囲気だったが目の前にあるのはプロシュットではなく黒豚のナベだった。
辺境のこの地域にもこれだけ自転車を愛好する方々がいたとは・・とうれしくなった。


鹿児島市内からフェリーの出る志布志へ行くには錦江湾という鹿児島を東西に分ける海を渡らなアカン。もちろん陸路で移動する手はあるが船で渡るのとは80kmぐらい余分に走らなアカン。
鹿児島の人は陸路を遠回りすることを”千代香持ち手やっど”という
千代香の持ち手のようにぐるりと遠回りをする意味

ちなみに私の田舎のある吹上(日置市)は東シナ海側、薩摩半島である。
大阪行きの船が出るのは反対側なので市内に出てフェリーで錦江湾を渡り鹿屋をとおり志布志へ行く必要がある。フェリーに乗るためにフェリーに乗らなくてはいけないが、都市高速のない鹿児島だから都市高速みたいなもんで、半島間を3本の船が結んでいる。
市内からは2本、垂水行きと桜島行きが別々の場所から出る。常時出てるのは”桜島フェリー”で市内の対岸、桜島に渡るもっとも短いルートで乗船時間は15分、埠頭に着けばクルマで船に乗り込むだけというお手軽。料金は桜島に着いたときに高速道路みたいに料金所があるが車長と乗車している人数によって料金が異なる点は高速とは違う。

私はこのフェリーから見る桜島が大好きで必ず甲板にあがり見上げる。この賑やかな鹿児島市が面する錦江湾の海は青くときどきイルカが船と併走する。
今朝、下船した大阪南港とは同じ水の海なのかと思える
鹿児島、バンザイ。

2010/12/10

エコなガソリン

なんだか巷は「エコ」という言葉で騒がしい・・
そやけどまだ走る車をほかしてクルマ新調するのってそんなにエコなんか??
まだ使えるTVを山に捨てて液晶TVに買い換えるんはエコなんか??
溶かしたってほんのちょっとしか再利用できないスチロールを車に積んでスーパーに持っていくんは本当に環境に優しいのだろうか??

なんかヘンだぞ。

最近は「エコ##」と聞いただけでなんかカラダが拒否する
本当のエコはそんなところにゃ落ちてへんで。
「エコ」なガソリンってどういうこと?

「環境に優しい##」 いうて企業CMが流れるけど・・それを見るとドラマのラブシーンを家族で見てしまう茶の間の雰囲気みたいで背中がゾワゾワするぐらい気持ち悪い。

自然を知らなければ 「エコ」なんて まるで都市伝説
いったい何のためにその行為をしているのか、ようわからん。
だから、山に登ってきま〜す。

開聞岳を予定してる

2010/12/09

ほうとうと銀杏

長野県と山梨県の県境には「ほうとう」の郷土料理屋を見る
ほうとう?? 伝家の宝刀? なんか凄そうな名前や。

デカデカとノボリの立っているいかにも民芸風のレストランにひとりで入り
メニューをみるとこれ以外無いと言わんばかりに


ほうとう
とんかつ定食
刺身定食


ラミネートされたメニューのトップを飾っている
なんだか強そう。
少し恥ずかしいのを我慢しておばちゃんに頼む

10分後
見慣れた白いものが野菜と一緒にナベで出てきた





それ、煮込みうどんやんけ。

長野をあとに自宅のあるお好み焼きカントリーへ

1週間の滞在後、外郎の国、明太子の国、馬刺しの国へ向かうことになった
で現在は黒豚の国に着いた。

途中、イタリア滞在中にお世話になった方々への挨拶や採寸の依頼をこなし徐々に南へ
今日ゆかりのある鹿児島に着いた。
アイディアを練るとき、人生の岐路に立ったときやはりここがいい
新しいことを始めるときもかならずここに来るようにしている
ここには私が生まれたときに植えられた銀杏の木がすくすくと育つ古い祖父の家がある。
八ヶ岳が紅葉に覆われた頃、無性にこの銀杏が見たくなった。

樹齢37年。
数年ぶりに帰ったら黄色に染まった葉がまだ半分ぐらいは木にしがみついていた。



鹿児島から大阪までの方で採寸依頼される方はご連絡ください。
帰路に伺います。(オーダーにならなくてもOKですよ)
無ければフェリーでワープしちゃいます。

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2010/11/23

三国峠

向の村、川上村に良く行く喫茶店がある
1970年からやっているところで
「純喫茶」と書いてありそうな・・
ベルベット張りの椅子が低そうな・・
赤い缶詰のチェリーが入ったソーダフロートがありそうな・・

喫茶ピオレ

カントリー調の最近作られた観光地にあるようなカフェではなく
純喫茶である

薪ストーブがあるが見せかけではない。
まっすぐに屋根を貫くその太い200パイの煙突はマジである。

そこの主人に勧められて埼玉県との県境、三国峠へ
その日は月が綺麗で朝の4時に家を出てぐんぐん秩父方面へクルマをすすめ
頂上、月が八ヶ岳へ沈んでいく。
それと同時に東が白み始め雲海の上に日の出をみる


美しい。日本って美しい国だと思える一瞬だな
写ってるポンコツは何年も帰りを待っていたオレのクルマ。



すでに所々雪が積もってる

シモバシラって見たことある?




頂上から埼玉県側に行くとこんな看板
タイヤ・クルマの破損恐れあり



あっはは・地上高バリバリ、しかも4駆・・









Bassh!



すんごいガレ場で落ちてる石がとても鋭利なん
タイヤがパックリど真ん中に5cmぐらい穴が空いてもうた
こりゃアカン
初めてスペアを使いました。もってて良かった




再び野沢菜

怒濤の3週間やった・・野辺山シクロ+サイクルモード
おいら野辺山シクロ部隊ではなかったんやけど
賞品の額を作ってみたら大好評 っていうかええ感じになった。
ウチにねっむてる古い部品をこうやって部屋に飾る>置き場所に困らない かも。




















大阪のサイクルモードがおわり、トラックいっぱいの荷物を積んで再びナガノ。
その数日後矢野家の皆さんメーカーまわりと友人の結婚式でアメリカへ・・・
残されたのは、そう、デカい犬2匹+ネコ1匹+オレ
犬の散歩が日課に・・なるわけが無く どうせならと車に乗せてハイキング
近くを散策してたら小川があってこのクソ寒いなか犬たちは大ハッスルして
所々氷った川でバリバリ泳いでた・・信じられん。
その帰り道、野ウサギに遭遇して2匹とも野生丸出しで追いかけていったがウサギの速いこと・・飼い犬のあきらめの早いこと う〜ん あっさり。
さすが命の掛かってる側と獲物にありつけなくても食える差やな。

明日、交代要員が帰ってくるのでオイラ自宅のある大阪へ帰阪する。
犬とネコは最近やたらと懐いてしまったんでちょっと寂しい気もするな。

ここ数日、展示会やらなんやらが終わってついにハイキングがてら山にアプローチ
もちろんクルマ。だってイタリアでの10年近く自分の車に乗れなかったんで
クルマを遊びで使うなんて そりゃもう、

ぜ い た く (ウフ)

一足遅く紅葉を見に行ってきました。

2010/11/11

そば>お好み焼き

長野より大阪へサイクルモード出展のため行きます
2トン車いっぱいにモノ積んでいざお好み焼きへ
途中、味噌カツ経由するかも・・
じゃ皆さん、会場で!
ci vediamo!

ギザッロ

なんていう日本のブランドありましたね・・帰ってきてビックリ
取って付けたようなブランド名のことではなく、本当に3代続く老舗のリム工房のお話しです

以前より取り扱いしている木製”GHISALLOリム”完成ホイールで出荷可能となりました

使うリムは”STRADA SP"といって積層面にコットンを挟んだ強化版
さらにリム高も通常版よりあり剛性が上がりました
木製特有のしなやかさは残っており良いバランスのリムが出来ました

そこにホワイトインダストリー社製ハブ
以前はイタリア製PMPを検討しましたがハブ自体の品質に問題が有り見合わせました
コレならシマノにもカンパにも対応します。
以前カンパ本社に36穴のハブを特注しようと掛け合ったら5000個からだと言われてしまいましたので(たぶん5000個のオーダーでも作る気はない感じ)

そこでコレ↓
リヤはハイローフランジで10・11速対応

オーダーを受けてからの組み立てですので少し時間をいただきますが完組ホイールですから組み立てに自信のない方も是非どうぞ。 ・・ハッキリ言って木リム組むのってかなり難しいですのでショップのかたもオーダーください。

あ、忘れてた・・リムはチューブラータイプのみです

2010/11/10

サイクルモード東京

東京で自転車見本市
サイクルモード・・というらしい。
あれ、ビックサイトでするんじゃないの??
10年ぐらい日本の見本市に来てなかったんで知らんかったやけど
数年前に千葉の幕張メッセいうとこに変わってた。
ホンマうらしま太郎状態やで・・




ブース関連のデザイン、製作をやってトラックに積んで長野からいざ出陣・・
むかし展示会やディスプレーの仕事をしていたんで出力やら大工仕事やらが役に立ち
なんとかカタチになった。
東京は先週、明日木曜から大阪に乗り込み、金曜設置して土〜日曜日はインテックス大阪や
みんな見に来てね(先着数名様に招待券有り! 会場に着いたら電話してね)

2010/10/25

ノベクロ

野辺山シクロクロスレースが開催される。
うにゃ、開催する側に関係している。

隣近所のばあちゃんも、農家の旦那さんも、村の商工会も巻き込んで
なんだか

楽しそう。


ちなみに会場は タキザワ牧場 という観光牧場で馬やヤギがいる。
美味いジェラートを売るネーチャンも
裏山で取れたキノコを使った汁もあってとっても

美味そう


最寄り駅からチャリンコ自走で参加できるのもいいし
天気が悪くてもレストランなんかがあってとりあえず

温そう

別にシクロクロスバイクでなくてもエントリーOK
ただし泥よけとか荷台のついたコメ屋の自転車はダメらしい
当日エントリーもまだイケるそうです
来られる方、標高は1300m以上ありますので、ダウンジャケット持ってきておいてください。

レース詳細: http://nobeyamacyclocross.cc/

2010/10/13

窯はピザ用

4月、出版社の依頼でイタリアへ飛んだ。
そのときサイクルシューズメーカーのSIDI本社で 社長にインタビューした。
シニョール・ディーノさん、70歳
自分の欲しかった登山靴から靴を作り始めて、スキー靴、自転車シューズと数々のアイディアを実践したエネルギー溢れるすごい人だった。
会社のロゴもその彼の性格から嵐のマークが付けられている。

余談だがかかとが開くスキー靴もクリートが調整できる自転車シューズも彼のアイディアだ

最近はライダーの足に合わせて中敷きをオーブンで加熱し変形させる靴が出回っている
注)日本のメーカーである


先日アメリカで行われた世界的な自転車見本市で会場中に配られたSIDIのバッジ・・
オイラは行かなかったがウチのボスが行って持って帰ってきてくれた

ソコには
窯はピザを焼くため
クツを焼いてはいけない

サイコー!
SIDIの靴が欲しい今日この頃

2010/10/12

1300mに

標高がおそらく日本一高い自転車工房だろう。。
八ヶ岳バイシクルスタジオのメンテとアッセンブルルームを作った。
作業台から引き出し、タナやフレームハンガーなどなど...

気がついたらアタマにタオル巻いて耳の上に鉛筆入っててん。



マルノコとか
サシガネとか      
コーチとか
   フィニッシュ とか


ナグリとか    

コースとか






で出来ちゃった。

八ヶ岳バイシクルスタジオのバイクメンテルーム
オレ製


そやけど、大工道具や材料ってヘンな呼び方やな・・
なんやねん”コーチ”って?
名古屋コーチンみたいやんけ

2010/10/09

カシハライタ

大阪に柏原いうとこがあんねん。
ナショナル自転車とか、玉手山遊園とか・・大阪と奈良の境目で大阪がわいうとこやね。
そこにナガサワさんがいてはる。

存在を知ったのはトレントにいるときダリオ・ペゴレッティーから聞いた。
なんでも20年ほど前にウーゴ・デローザといた日本人で、カザティーのおやっさんも日本人のオイラを見て ”そういや昔、ウーゴといた職人は日本人だった”と教えてくれたっけ・・  そうその人。 中野浩一選手のフレームを手がけたナガサワさんに会うことになった。話好きで取っつきにくい職人気質とは無縁な感じ、まるで間を嫌うイタリア人みたい。しかも仕事は晩の8時から朝の8時まで と昼夜が逆転したまるでイタリア時間。
オイラも時々イタリアへの連絡で朝の4時に電話してるけどその上をいく。

工房は住宅地のなか、切断機やグライダーが結構な音を立てるはずやけど・・心配して聞くと、「元から居ったんはウチらの方やしいまだに文句は出てへん」・・・らしい。
しかしスゴイ作業場でもので溢れかえってる。ZULLOの親方に片付けを言ったことがあったが比ではないのだ。たぶんペゴレッティーもコレには及ばないだろう。
一癖ある一流のビルダーはどうしてこうなんやろ?? そうか! 一流になりたければ片付けをやめてみるか。




結局、大阪が実家の私も友人と共に彼の家に泊まることになったのでした。
その強引さ、なんかダリオそっくり。 でもとてもおもしろかった。


2010/10/03

Kinoラック

まえからみんなに作ってくれと言われてた木製のバイクラックが出来てん。
フレームで3本、バイクなら2台展示できる木製ラックで
しかも・・・組み立て式だからもちろん分解可能やねん。


バイクが増えると困る収納場所。
発想を変えて見せる収納にすると・・こんな感じ。

製作は滋賀県草津市でオリジナル家具を製作する
トリビュート」さんに協力してもらったら...さすが本職の家具屋やね・・・ところで何の木やったか聞くの忘れたな。


早速、住之江の自転車店:BiciParadisoAugurioさんとこへ納品しますんでディスプレー台の実物を見たい方は行くべ
し。


フレームラック詳細写真はコチラ



芦屋ライドワークスさんにも店内で使ってもらっています。
http://www.rideworks.jp/

2010/09/09

八ヶ岳

八ヶ岳に来ちゃった
何年も放ったらかしにしていた可哀想なクルマを修理して、八ヶ岳に来てもうた。
大阪は暑くて暑くて、乾燥したイタリアにいたからじめじめした大阪はたまらなく暑かった。
数年前、アメリカのポートランドの見本市で出会ったインディペンデント(IF)の販売をしているY氏、近年八ヶ岳の清里あたりにあったペンションを購入。

ここにショールームーとワークショップを作ってる
あたりはのどかな高原野菜の畑が広がりキャベツを積んだトラクターがよく通る。
降雪地帯だけに路肩は十分取ってありライドには最高・・っておれ自転車無いんだけど。
また大工道具をクルマに山積みして作業場作りからやねん。

なんか日本に帰ってくるたんびに大工仕事ばっかりやがな。

2010/08/10

ビン・バン・ブー

朝からクルマで倉敷主張・・違った、出張。
ある材料メーカーさんと打ち合わせやってん。

え?




もちろん アレ用




アレって?




10年ごとの新作。


エコなんて今ほど言われなかった時代、自転車乗ってたらビンボ〜なんて思われた頃
だれも製品化に興味を持っていなかったアレ。あれから10年、時代はいつの間にか自転車に傾いて最近は自転車がカッコいいとまで思われるらしい。


そこで、10年間、放ったらかしの我がブランドのバイクをキーワードで思考してみた。
おっと、イケねぇ・・ここZULLOのブログやった

<エコ>
燃やせるゴミで出せる、要らなくなったら風呂にくべる・・
今どき 風呂湧かすのにはないよね。
エコ自転車はどうだろう?

<ゆるチャリ>
ピチピチパンツをはかなくてもいい・・
ミゾブタにタイヤを取られるのを気にしなくてもいい・・
オレは速いぜっ!って廻りの眼をかまわなくてもいい・・・
ユルい自転車はどうだろう?

<ビジチャリ>
玄関に、リビングに、ウィンドーに・・
絵になる自転車はどうだろう?



もう我慢できへん、作らせてもらいます。
アイディアはかなり前から温めてて、レースの世界が嫌になったときに書き溜めた膨大なスケッチをめくり一枚に書いたら一晩で図面がでけた。

今回は製品版をデザイン段階から検討しましたよ。 
さぁ! みなさん、いまから購入資金を貯めておいてね。

協力工場のみなさま! 「来るな」と言われてもお邪魔します
よろしくお願いします。

サンパde'サンバ

ZULLO工房のあるVeronaにあったミラーニ社
そこでは長年、P社のレパルトコルサを Darioペゴレッティーが作っていた。P社が中国生産を開始すると彼のいたミラーニ社(現在のMILANIは全くの別物でロンバルディア州Bergamoにある)は閉鎖を余儀なくされた。ペゴレッティーは独立し彼は独自のブランド”PEGORETTI”を立ち上げる。彼がフレームをつくりZULLO工房が塗装をしていた時期である。

そのペゴレッティに変革が起こるのは弟ジャンニがやってきてからだ。
彼はもともとイタリアNHKにあたるRAIにいたアートディレクター、彼は兄ダリオが作るフレームをキャンバスにして自転車をアートに仕立て上げた。そこからPEGORETTIの快進撃がはじまり今のブランドが確立された。

そのジャンニ、実は私の古巣”サンパトリニャーノ”の施設でボランティアをしている。かれは同所、施設内の自転車工房の管理と元ジャンキーたちの教育係なのだ。2003〜04、私もその同じ立場でデザインを教えていた。その頃はペゴレッティーのフレームもそこで私たちが塗っていた。-----この施設の経緯について書くと長くなるのでそれはまた今度

彼のデザインセンスは抜群だし、世界最高の水準の工房にいる。いろんな工房を見てきたがここほど綺麗な工房は見たことがない。それもそのはず、ソコは元ヤク中やアル中が更正するための施設でヨーロッパで一番大きなコミュニティーである。州から補助などがあり職業訓練という名目で手の込んだ塗装もやってくれる。まさにイタリアの「府中刑務所の家具」である。その場所を使うと言うことは職業訓練を必要とする人々への社会貢献でもあると。
外注なんていうとなんだかドライな感じがするがジャンニがいるサンパトリニャーノなら言うことはない。

電話しよっ!

あっ・・まだ寝てるやん。

2010/07/28

スケスケ

専属テストライダー”タクマくん”がやってきた。
彼の乗っているINQUBOは穴あきステンレスエンドが入ってる、製品にする前にテストをお願いして半年、プロトタイプに乗ってもらった。ペゴレッティには「折れる」と酷評されたエンドは今もばっちりビクともせず彼の自転車通勤を支えてる。

たこ焼き

2004年のミラノは特に暑かった。
クーラーなんかあるわけないウチのマンションには暑苦しいオトコばかりが住んでいた
みんなオレより若いファッション業界に夢を見る日本人だった。

14時間のフライトのあと飛行機が止まり、ゲートが取り付けられる。
お〜!日本、しかも関西やん。
うどんにタコ焼き、え〜と・・
アリタリアの機内から出た瞬間

ムワァ〜

なんですか、コレ?
「奈良健康ランド」じゃなくて「関西空港」ですよね?

しまった、この時期の日本は8年ぶりやった・・。

立ってるだけで鼻血が出た。
こんなに暑かったっけ日本て?

いま、「たこ焼き」はいらん。

2010/07/25

ハカマ

工房からありとあらゆる荷物を全て船便で送り出し
袴に着替え親方にお礼をして工房を出た。
8年の長い間イタリアでの修行を終えて日本へ帰る。
理由は様々やけど、5年ZULLO親方に世話になった。
日本からのオーダーを全て作り終え飛行機に乗る。
思えば長いようで短かったなぁ・・

<ローマからの機内で思うこと>

2002自転車作りの修行を決めてイタリアへ。右も左もわからなかった20代後半、あっという間にアラフォーなんて言うところにばっちり収まって頭の毛がちょいと薄くなってきた・・。8年間、ただただ最高のフレームビルダーになりたい一心でなりふり構わずひた走った。ミラノから始まり、CASATIさんのところでは事務員のクリスティーナと柔道仲間になったり。トレントのサンパトリニャーノの施設では某有名メーカーの下請けをやって、ペゴレッティのグラフィック塗装も施設でやった。それからヴェローナのZULLOさんとこ。たしかトレントから最後の引っ越しはオンボロのベスパで工房のあるヴェローナまで真っ暗な中を走ったっけな・・。

自転車、それは人の生命をも左右するその作品でたった8kgの道具が80kgの人間とその脚力だけで時速60kmを可能にし200kmの距離を移動する。この人類の発明したすばらしい道具をいまだ延々と試行と改良を重ね手作りしている人たちに出会った。レースに培われた土壌があるこのイタリアで少しでも軽く強く美しく作品を作るひとたちがいた。またそれを支える文化があった。

それに出会うことが出来た喜びと知る事のおもしろさ、当初はそれだけで幸せだった。恩師のすることのまねからはじまり、おっかなびっくり自分の持っている引き出しを開けていろいろな困難を乗り越えてゆく。それを自分なりに改良していくと自分なりのスタイルが出来上がってゆく。ある部分では師弟は同等の立場になることがありまた立場が逆転する場面もある。習う立場から時には教える立場になる。恩師が私に教えたように誰かに教え伝えるのが責務であるとも思えるようになってくるとなんだか当初のようにワクワクしっぱなしというわけには行かなくなる。

無給で働くこと8年、途中いろんなオファーがあったがいちど師を決めたら全てを吸収するまで動かないのが私の信念で名のあるメーカーからのオファーを断り続けてこのZULLO工房に居続けた。つぶれかけていた工房はいろんな人の助けで再び羽ばたいた。羽ばたいたら工房も潤ってくるにちがいないと気張った。じり貧だったので家を引き払い家賃を材料費にあて自分は工場で寝ることになったりもした。年産100本のフレームという目標をたてて3年後の昨年なんとか到達した。この数字、制作することは簡単にできるが「売る」ことが難しいのである。 ちなみにこの工房では完全に受注生産なので「作れる」と言うことは「売れた」ということである。

その道35年の職人と駆け出しの日本人はすばらしいコンビで新しい試みを次々に実現していった。世の中はカーボン一色の時代に伝統工法で自社でお客の体格や好みに合わせて制作する特注専門の工房へと変化した。ちょうど全世界的にインターネットが普及し個人が国境を越えダイレクトに工房に注文が出来るようになった時でもあった。アメリカをはじめオーストラリア、カナダ、ドイツ、フランス、イギリス、スペイン、ハンガリー、シンガポール、台湾、そして日本へと次々にフレームは送り出され数年後には見本市で高い評価を得るようにぐんぐん有名になっていった。

その反面なぜか寂しい気持ちがムクリとやってきた
ブランドを育て一人歩きするようになるとなんか自分のすることは終わったような気分になったものだ。いろんな雑誌社が取材に来るがZULLOというブランドは親方の名字である。評価が上がれば上がるほど寂しい気分になった。親方が身長や体格からフレームの各サイズを算出しプレカット、溶接を担当しヤスリ掛け小物溶接と溶接仕上げをどちらが手の空いている方が担当。仕上がったフレームへの塗装は全て私が担った。日本人向けにはイタリア人の手による100%イタリアンが好まれるようで私は表には出ずデザイナーということで自己紹介をしたものだ。

工房ではお互いをマエストロと呼びあい、いつの頃からかヴェローナの方言を喋る自分になっていた。どうしたことか「じり貧」の私にお嫁さんも来てしまった。このままじゃマズイ、特に経済状況が最高に良くない。当初の念願だった到達すべき所には着いた、長く同じ道を続けて走っているといつの間にか自分が臆病になっているような気分になってしまう・・ホントはそうなのかもしれない。ここは思い切って方向を変えてみようと思ったらおじさんが病気になった。チームワークはガタガタになって生産がストップ、私は日本人のお客から大夫と怒られたものだ。その冬、猛烈な寒さがやってきた。連日の氷点下で暖房のないねぐらはまるで雪中キャンプだった。私はVISAがもらえず家が借りられないとういう事態になって半年が経っていた。さすがに不法滞在を重ねるわけにもいかずクリスマス後に日本へ帰らざるを得なかった。

ようやく暖かくなってきた頃、雑誌取材通訳で現地へ飛んだ。すぐさま工房へ行って、もらった注文分の制作にあたる。工房で2ヶ月フルに働きもらった注文の全てを発送し肩の荷が下りた。評価をいただけるのはうれしいが注文を取り次ぐと親方が身を削って制作にあたる。これではなんかイジメているようで心苦しいくオーダーの受付をやめようと思った。全てのオーダーを終えた今ならノーと言えると。

といろんな事を考えてマエストロ・ズッロが教えてくれた事を自分のブランドに活かしたいと考えるようになった。
今まで応援くださった皆様には大変感謝しつつ日本へ帰国することを決意。ZULLO工房は今後も存続いたしますが私の取り次ぎ業務は一端終了いたします(日本国内で私が塗装できる可能性を探っています)
私は8年前にミラノから始まったようにもう一度、日本でゼロからスタートです。






2010/07/14

グローバル・テレコ

あっという間のプーリア滞在、
「旨いオイルを探せ」をテーマにたくさんの農家やその関係者にお世話になりました。
オイル事情の深い話が聞けました。

とにかく輸出されているオリーブオイルのほとんどはTAGLIOと呼ばれる
エクストラにカテゴリーされないオイルを酸度の低いオイルで割って全てをエクストラとして輸出してる話や、味の濃いコラリーノ種の用途はほぼ全て味のないオイルへの味付けに使われる話などてんこ盛り。

結論:生産者である農家が自家用に作っているものはやはり「旨い」ということでした。
(詳しい話はまた今度、整理して発表します)
世界一のオイルを探せツアーも今日が終わりです
よる800kmをクルマで北上して工房へ戻ります


工房では残務がすこし・・日本行きフレームでとんでもないことが起こったのです
「旨いオイルを探せ」ツアーの前に全ての制作を完了してZULLO氏に託した発送。

先週お客さんから「箱を開けたら絵画でした」という連絡

うん?

絵画?

はて?

国際輸送では二つの国を跨ぐため出発国、到着国ともに関税を通過する
海外旅行みたいなもんで発送品はイタリアを出る手続きをして日本へ到着し所定の手続きを経て指定の住所へ運ばれる。だから書類によってはイタリア語だったり英語だったり日本語だったり。

しかし、だ。あるところでウチが出した箱と他の人が出した箱がテレコになるって
それ、マンガみたいやん。
日本じゃ起こりえないと考えるのは日本人びいきしてるワケじゃない。
経由するドイツも国民性を考えるとなんとも考えにくい。
残る選択肢は・・・

イタリア      

大いにあり得る。

そんなあり得ないことが日常茶飯事的に起きるのは イタリアしかない。
出発前のイタリア税関、ここで荷物の取り違えを起こしたとしか考えられない
箱に貼り付けてある通関書類が何らかの拍子にこぼれ落ちて近くにあった箱に適当にほうり込んだと思われる。 もしくは公務員の賃金値下げに対抗する新手のストライキなのか?
ま、人の為に働くという概念を持たないイタリア人だから後者かも知れない。

本来カナダに着くはずの絵が東京に着き、東京に着くはずのウチの商品がカナダへ送られてしまった・・・えらくグローバルに迷惑な話である。
イタリアで働く、イタリア人と働くって一事が万事こんな調子。
あり得ない間違いをきちんとお約束通りやってくれる、吉本新喜劇みたいや。

さて、このカナダと日本の入れ替え どうしようかな。
帰りみちみち考えるとしよう。

2010/07/06

切り抜き

海に行ってきました
しばらく眠ってた写真の感覚が少し戻ってきたよう。



どんなかんじやろ?

ボスコじいさん

さてオリーブオイルの品質についてお話しします、
といっても生産者のボスコさんの受け売りですけど・・・。

まず始めにオリーブオイルってオリーブの実をしぼったものだってこと知ってました?
もちろん油成分以外の水分も出てきますけどこの油成分のみをとりだしたものがオリーブオイルです。

さてそのオイルの表記とカテゴリーについてです。
まず酸度が基本的な指針になります。この酸度でオイルのカテゴリーが決まります。
0.9%以上の酸度がある場合はオリーブオイルとなり0.8%以下の場合はエクストラ・バージンオイルと呼ばれます。
収穫される年の季候や時期に左右されますがこのオリーブ園では平均して0.2~0.3%の酸度を記録していますから抜群の品質であることは間違いありません。もちろんエクストラバージンオイルと言われるカテゴリーに準拠します。
ちなみにバージンオイルというのはオリーブの搾りたてのオイルを指し、このほかにとことん搾る、一度搾ったオリーブをもう一度搾る工程で得られるオイルと混ぜ合わせる単に「オリーブオイル」と言われるものもあります。
ですから初搾りのみを使う「バージン」 でありながら酸度が規定値以下である「エクストラ」なオリーブオイルを
「エクストラバージンオイル」と呼びます

さてもう一つイタリアを含むEU連合のワインや農産物に付加される表記があります
それは現地種保全規格「DOP」と言い 原材料であるオリーブの樹種が限定された地域に生息する種であること
この農園の場合はオレオリカ・ガルガニカ種のオリーブでこの地域に限定された種類であることがEU連合で承認されています
また収穫から製造に至るまで現地で行われていることが必要で先の品質も含めてこの「DOP」というカテゴリーが付与されます。この「DOP」というのはイタリア語で、Denominazione Origine Protetta の頭文字を取ったもので、直訳するとDenominazione=種類、Origine=原産地、Protetta=保護 となります。
通常、その地域でしか育たないブドウを原料にしたワインなどに多く使われます。


さてもう一つは風味、「味」です
こればかりは数値で表記することは出来ず表現が難しいのですが、このみち50年の農家のLORENZOさんは言います
ーーー「数値ばっかり気にして酸度の低いオイルより、オレは少々酸度が高い方が旨いと思うよ。
なんていうか、こう酸度が低いのは味わいが薄いというか・・僕は少々酸度が高いオイルのほうが好きだな。
ウチのは十分酸度は低いしいわゆる高品質オイルになるわけだけど実はあんまり酸度にはこだわってないんだ。
それより風味だね、酸度が低いオイル=高品質というのは納得できないな。酸度が低くても豊かな風味を持っていなければダメだね。澱(オリ)がすこし出るくらいの新鮮なオイルは喉ごしがいいし風味もいい」ーーー
と言うわけです。現代社会では人間の感覚に頼る部分を数値に置き換える癖があるようで人間の感覚はその上を行くということをみな忘れているようです。ま、簡単な話が農家の人が自分用に使うものが一番旨いということなんでしょう。

広大なオリーブ園の真ん中にある彼の小さなレストランで出されたオリーブの漬け物
小振りな実を塩漬けにしたものだけど、味が凝縮されていた。
完璧は不完全のなかにあると言うことでしょうか?
自転車作りと一緒ですかね・・・。



2010/07/03

ハエ

南イタリアのプーリア VIESTEという地方にいます

本日オリーブ農園を訪問してきました
予てから要望のあったオリーブの葉っぱですけど
農薬を使うかどうかと言うところで説明がありました

オイルの酸度をあげる主な要因はハエで卵をオリーブに産み付けてしまいます
これが酸度を上げる要因になります
この対策として7月から8月に掛けて2回ほど(他の農園では4〜5回)
最小限の農薬散布を行います

農園ではオイルの他にオリーブの葉を原料とするリキュールを製造しています
このリキュールに使用する葉は散布する樹とは別にして無農薬で葉を採取します
オリーブの葉っぱを使用したリキュール

葉っぱについては採取可能です、さて問題の樹種ですが
OGLIAROLA GARGANICA オリアローラ・ガルガニカ
と言います。 この地方独特の種類でオリーブの実は小振りです


バイオ栽培への取り組みも挑戦中ですがやはり酸度を上げてしまうハエとの戦いに有効なのはやはり農薬
しかし酸度にこだわらなければ無農薬も可能だといいます
酸度の数値化がオイルの絶対価値ではないと農家も言ってますが残念ながら現在の市場はこの数値が優先されるようです。農園の主、BOSCOさんはアンチ農薬派で現在も農薬に変わる違う方法でハエ退治はできないものか研究しています。

樹齢400年を超える古木も多く広さ100エーカーの丘に囲まれた農園からはアドリア海が望めます
農園の中央斜面に築800年の家を改装したレストランを経営、農園でとれたオイルをふんだんに使った料理が楽しめます

この地方の郷土料理はコチラをご覧ください(今回取材写真を全てアップします)


農園では今年の収穫分の予約を受け付けています
また[オリーブの樹まるごと予約]も可(およそ30L)
ご興味ある方はご連絡ください

次回は収穫されたオリーブを搾る作業所を取材する予定です
ビーチでゆっくりしてからね。

2010/07/01

ズッパ

今週はオイルの話でプーリアに飛んでます







ネットがないので写真でどうぞ。

2010/06/26

カルチョ

一昨日からなんかおかしいねん、雰囲気が妙に静まってる
ちょうどミラノに用事で行ったんやけどいつもの騒々しさがない。
うん?・・・はて・・ 
あ、カルチョやな。

街の中からどことも無く響く歓喜と罵声

窓という窓からTVが見えて、みんな釘付けやん。
で結果は前回の覇者イタリア、予選負け!

どおりで静まりかえってるワケや。

おもしろいのがTV、試合後のパネリストによる討論が
日本の某局の”朝まで生TV”のようなネクタイしてみんな真面目に話し合ってる
試合に負けて2日が経ってもまだやってる。
”あさっての朝までTV”である

もちろん討論されるのは政治や経済ではなく
あくまで”カルチョ”、サッカーである。
平和な人々だ。





ちなみに私はサッカー好きでもキライでもなく、ただ白いボールが右往左往するのが退屈なだけ
景色が見れる自転車レースの方が断然(見るのが)すき。

2010/06/16

マルゲリータ

フレームについてるボトルゲージの穴
最近のフレームは極薄の鋼管を使うんでここに500gの水はちょっとキツイ
で、星がたのような補強板を溶接するんやけど、カタチに問題ありやねん。
ひし形の補強板

コレ、パイプに対して少しでも狂おうもんなら一目瞭然でちょんバレ。
こいつのカタチを変えてしまおうと考えて、
こんなんを思いついた。
どっち向いても大丈夫なカタチで真ん中に穴があって・・っと。

図面書いて、レーザーでステンレスを切ってもらったら・・
おっとイケない、数量を間違えてもうた。
数日後・・400個のマルゲリータがやってきた!
えらいこっちゃ。。
ちなみに茎と葉はつきません

と言うわけで今後、全てのフレームにマルゲリータの補強板 ”マルゲ板” がもれなく溶接される。

2010/06/15

アルプスいち万尺♪

土曜日の昼まではお仕事やねん、で、お昼の電車に乗ってまたまた行ってきた
今回は翼の王国にも出演した「ロレ雄」も一緒にブレンネロ峠へ
彼の愛車はウチのクロモリフレーム”INQUBO”
テストライドを兼ねて・・と言うとちょっと仕事っぽい。
堂々と遊びに、あ、イケねぇ・・仕事に行ってきた。



ブレンネロからボルツァーノまで最近自転車道が整備されたと聞いた
早速行ってきました。
昔の線路を自転車道にした箇所は勾配は少なく非常に走りやすいが所々まだ工事中
親方から聞いた話では旧線路は勾配がキツく貨物列車は機関車を3つつないでひっぱていたそうだ。
そこである技師がトンネルを計画して山の中をループさせて峠へ向かうルートを計画。
山の下側と上側から掘削工事が進められカーブしたトンネルは中間地点でお互いに出会う予定だった。

が  しかし・・

掘っても掘っても上からチームと下からチームが出会わない
もしかしてすれ違って掘ってるんじゃ?
2本のトンネルが出来るってこと?
出会うはずの距離まで掘ってそんな疑問が噴出したころ
技師は自分の計算ミスを疑い自殺してしまった。
彼が亡くなった翌日、なんとトンネルは開通。計算は間違っていなかったのだ。

気の毒な話だがおかげで山肌の旧線路はサイクリングロードに変身。
ありがたく走らせてもらうことにする。

2010/06/11

マラニーニ

この時期になると工房には時々古い自転車が持ち込まれる
季節が良くなってバカンスに持って行くんだろうか70~80年代のレーサーが毎年のようにメンテに入ってくる。ま、ウチの工房をしってるローカルのサイクリストたちやからかなりその筋のひとたち。だって表向き自転車工房とは書いてへんにもかかわらずやってくる。普通のひとではないお客が普通じゃない自転車を持ってくるのだ。今回はMALAGNINI/マラニーニ、1990年まで腕をふるったベネトの職人でウチのオッサンも彼から仕込まれたという。

丁寧な作りは見て取れるがフレームを見て変わったところがある。それはチェーンステーに24mmという大きな径のパイプを使ったこと。70年当時BBラグはチェーンステーは22mm丸しか入らなかった、TIG溶接はまだ一般的になっておらずティーノ・マラニーニはパイプを勘合部だけ22mmに細く絞ってラグとロウ付け、チェーンリングと干渉する部位は1.5mmを開けて外側から凹みを入れてある。ムム・・秀逸である。

パイプが丸でしかも24mmと大きいモンだからタイヤクリアランスは内側のツブシで確保し許される寸法を無駄なく使っている。これによってリヤ側の剛性が上がり踏むとレスポンスの良いフレームが出来るのである。そのコンセプトはTIG溶接フレームでウチのINQUBOや世界戦で供給したトラックフレームなんかがそのまま受け継いでるねんけど当時はラグしかなかったから苦労があったこと想像できる。

ワイヤーは全て内蔵工作で真鍮パイプがTOPチューブを貫き変速ワイヤはダウンチューブを通りBBシェルのすぐ内側、BBシャフトのカバーにあたる位置にアルミの筒状のワイヤガイドが入ってる。
変速比率の変えられる珍しいカンパのリヤメカが付いて丸ごとメンテに持ち込まれたのでした

お客にオッサンが
「コレ売ってくれへんか?」とマジで言ってたのはホンマ

2010/06/08

リンゴジュースとウインナー

巷のアシストバイク騒動をよそにボルツァーノを経由してメラーノに行くことにした。と言うのも本来なら日本行きのフレーム塗装が待っている・・はずなんやけどメッキ屋が間違ってツルツルの所をザラザラでメッキをしやがった。で、やり直し。イタリアらしいとしか言えない、もう慣れっこになってる。怒り狂ってもしゃーないんで上がってくるまでヒマになった。

うん、自転車乗ってどこ行こう・・浮かんだのはメラーノ
160km北の山あいの街、そうハイジがいそうなアルプスの集落が見れるはず
そう決めて自転車を電車に積んだ。何故メラーノかというとその昔初めてイタリアに来た年にミラノから木製自転車でドイツまで行った。ボルツァーノを経由してブレンネロ峠を越えたけどメラーノと言うところはボルツァーノから分岐していく谷を遡ったところにある。さらに進めばジロで有名なステルビオ国立公園がある。ま、アルプスのど真ん中というところ。

ボルツァーノから線路は単線になり山をかきわけていく。あたりは6月の太陽に照らされたリンゴ畑が連なり時々見える出荷場には収穫に使われるプラスチックの箱が綺麗に積まれて夏の終わりを待っている。
ボルツァーノ以北は完全にドイツ語圏だ。イタリア領なんだけどドイツが公用語として学校でも使われている。歴史的背景がありオーストリア領になったりしたんでアルトアディジェ特別州と呼ばれる。チロル地方とも言われ独特の文化を持っている地方でもある。この特別州の税金はローマには行かないので全てにおいてではないが独自行政がされる。道標なんかは先にドイツ語、下にイタリア語という具合だ

久々の海外ひとりツーリング、ワクワクするね。ま、イタリアにいるのもひとりなんやけどもうホームみたいなもんで新鮮みがない。電車で2時間のワクワク海外ちょっとドキドキ。昔はイタリアもドイツも私には変わりなくワクワクしっぱなしでどこに行っても発見があった。そんなエッセンスを探しにもう一度知らない土地でペダルを漕ぐ。そやけど「ダンケ!」ってなんや?
車窓からは南風にそよぐりんごの葉に小さなみどりの実が見え隠れしている

メラーノから自転車を漕ぐ。アルプスの急峻な山に囲まれた街で日没が早い。
暗くなる前に宿を取ることにした。ひとり旅だからメルヘンチックな所は避けて点在するホテルや山小屋風のペンションをあたる。探しながら走っていると次の街まで来てしまった。さまよいだして2時間、どこも何故かいっぱいである。
どうもドイツの連休と重なってしまったらしい。臆病なドイツ人からしたら言葉の通じる海外だから人気なのだろう、年配のドイツ人がやたらと多い。川沿いの公園ベンチがアタマをよぎりだしたときホテルを見つけベッドを確保した
部屋のバルコニーからは3000mはあろうかという山々が見るものを圧倒する
太陽はとっくに隠れて山のサキッチョだけが夕日に赤く光っていた。



大きな地図で見る

翌朝ボルツァーノへ向けて川沿いを下る。下ると言っても勾配はほとんどない。
あたりは牧歌的な風景だったがハイジもペーターもいなかった。
ボルツァーノの街は何回も来ているので中心街を通過することなくチロル川に合流しさらにこのチロル川沿いの自転車道をトレント方面へ下る。良いペースで午前中だけで60kmを通過したところORAと言う小さな駅に着いた
この駅には駅舎を改装したBARがあってここで休憩をすることにした。ちょうど昼だしJAZZバンドが奏でるベースが気持ちよかった。3杯もリンゴジュースをいただいてしまった。このリンゴジュースあとしばらく南下して完全にイタリア語圏になると見つけられなくなる。何故イタリアにはリンゴジュースがBARはおろかスーパーに行っても手に入らないのかはイタリア七不思議のひとつ。ここまで来るとみんなドイツ語アクセントが抜けイタリア語が堪能になってくる。


メシを食って昼の部を快調にこなせば工房まで帰れそうなペース、途中ガルダ湖に寄って水浴びでもしようかとも思う。
がしかし。。漕いでも漕いでも進まない。がぶ飲みしたリンゴジュースのせいではない、スゴイ南風が谷を駆け抜けていく。(ビデオ後半の立木に注目)どおりで地元サイクリストはみんな南から北を目指し、デカい日本人とドイツ人サイクリストだけが南に向かって漕いでいる。そうここは天気の良い日には午後から強烈な風が吹くことで有名らしい。
しまった・・ まるで風の谷のナウシカ、風の勢いはとどまるどころかどんどん増していく。狭い谷を南で暖められた空気が北へ膨張するように谷を登ってくる。トレントまで40kmに午後4時間を掛けることになってしまった。
途中あまりにも辛いんでベンチで昼寝し夕方5時頃トレントに着いたがこれ以上は向かい風の中走るのはムリ。
昔のホームだった懐かしいトレントをくるりとまわり国鉄にピンクの自転車をのせた



2010/06/05

ジャガイモの国<続>

ドイツショーの動画を発見
ちょこっとウチらも出てるん、

下のFIXIE.inc のフォークは私が作りました
まさかFIXIEの連中からのオーダーだとは知らずに際どい寸法で作ったん

VIDEOのなかでフランスのジュリーレーシングデザインが出てくるんやけど
奴ら夫婦でとんでもなくクリエーティブな自転車を作る
でもってデザインセンスが抜群、去年から眼をつけてたけど今年はスゴイ意欲作やった
片持ちの自転車は「タイヤ交換するのに便利」だって、最高!



↓の動画にオレすこし写ってルん♪

カンチェラーラ

イタリアではある選手がやたら話のネタになる今日この頃
スイスのファビアーノ・カンチェラーラ
個人タイムトライアルでは無敵の強さ、いや異常な速さで他を圧倒する
ピンクのスポーツ紙”ガゼッタ”にデカデカと
”カンチェラーラは”アシスト機能が付いた自転車を使ったのでは?”
う〜ん・・なんだかおかしな具合やで

実物のアシストユニットは2年前のドイツショーで実物を見た
オモチャみたいなもんだったんで気にしてなかったけど
プロツールで使う手があったやん! 気づかへんかった。



ホントかよ・・
プロツールの話は親方や奥さんからさんざん聞いたけど
とくにドーピングの話とか盛りだくさん
そやけどこの手があったか
2年あれば電池もモーターも進歩するわな。
当時から良くできてて一切外から見えないワケ、
バッテリー工具なんかの電池やモーターの進歩を考えれば出来なくもない。
しばらくこの話題は続きそう

2010/06/01

ピンクな日

世界遺産らしいVERONAの旧市街、ピンクな自転車で行ってきた。
ジロ・デ・イタリア最終ステージはタイムトライアル
15kimの市街地コースを選手が駆け抜ける

街はユネスコ世界資産に指定されている。
もちろんアスファルトの場所もあるけど、旧市街はほとんど石畳
ビンコロ石が敷き詰められてほどよくガタガタでやねん

街の真ん中のローマ時代からある円形競技場、ALENAがゴール
その200m手前の最終カーブに陣取って、アイスクリームをいただく。
PRカーのおねーちゃんたちは今日が最後とばかりに踊ってた

2010/05/30

チンピラ



サンダルはドイツで新調、ちなみにドイツはサンダルの国でもある。
ここイタリアはこの時期とくに工房のある湖周辺はドイツ人観光客が多い
そこで・・

<見分け方 ドイツ人とイタリア人 編>

5月のこの時期にすでにドイツ人はサンダル履きが多い
靴下をはいてサンダル履きを見たら間違いなくドイツ人やな
ヒールの高い靴を履いてるのはイタリア人、スポーツシューズかサンダルはドイツ人

ドイツ人は服装がスポーツウェアで、イタリア人が赤いパンツと柄もんワイシャツ、
まるで犬の散歩にでた近所の旦さんとチンピラみたいな感じ。

イタリア人はサングラスを特に好むがドイツ人はほとんどしない
どう見てもチンピラにしかみえないイタリア人の多いこと。。

BARのカウンターで順番を行儀良く待つのはドイツ人
イタリア人はヨコ入りも平気でする。

喋ってる最中に手を動かさないのはドイツ人
イタリア人は手を動かさないとしゃべれない。

歩行者優先のマナーのいい運転はドイツ人
イタリア人は速いものが優先だと思っている



ドイツ人とオランダ人なんかの見分けはさすがに付かないなぁ・・
オランダ人の親方の奥さんに聞いてみようかな

2010/05/25

ジャガイモの国

で行われるハンドメードバイク展示会に自転車見せに行ってきてん
<EHBEハンドメードショー>


しかし最近は展示会になれてきたんかバタバタさが以前に比べてすこしマシ。
徹夜することもなく、計算したように前日に塗り上がった。(←スゴイやろオレ)
ま、手を抜いたと言われるかも知れないけどちょうど「いい加減」なのだ
<新作みてね>


2台のクルマに自転車積んで出発したのが昼3時、オーストリア国境ブレンネロ峠を超え
アルプスを迂回することなくドイツ国境フッセン峠へ
ロレ雄の運転する国産FIATプントは途中エンジン不調を克服し目的地の50km手前
ULMと言う街についたのが夜の10時、まずメシはないかとあきらめかけた時
地元の臭いがプンプンするパブが目に飛び込んできた。
ドイツ語なんかさっぱりのイタリア人と大阪人、でも空腹には叶わない
スペッツィと隣のオッサンが勧めてくれた200gのステーキを頼んでもうた。


・・・! 
美味い。
ジャガイモ・・ウマい。
200gもある肉にイモ・・・もう動けないっす。
宿を探すことにしてロレ雄と割り勘でダブルの部屋を取った


ビアガーデン&レストラン Goldenes rad 夜は24時までやってる

2010/05/20

栗きんとん

クリスキング略してクリキンのインセットに対応する事になった
以前 Rapha 仕様のINQUBOにスポンサーの関係でピンクのinsetが入ったんやけど
外径がクリキンの方がデカい=カッコワルい(ココは見かけ重視の国イタリア)

正式には来月オーダーの分からでヘッドチューブ変更をします
どう?スッキリしてるでしょ。


エンドも形状を変更



2010/05/19

30年選手

年末に持ち込まれた、旧車「ZULLO SPECIAL」
色はオレンジ色にメタリックが少し掛かっていたような跡・・
というのも30年以上前の自転車、そうオッサンが初めて自分の名をフレームに入れた最初の10台のうちの1台が里帰り
奇跡的にも状態は良く、フレームに損傷はなし。
ただし部品、塗装やメッキに至ってはやはり30年の重さを感じる味が出とる。
オーナーはコレをいくら掛かっても良いので当時の新品の輝きにしてやりたいと持ち込んできた。ま、作った本人はまだトーチ握ってるんだから可能よね。

30年ずっとこの仕事してるんや・・とマジマジフレームを見つめてしまう。
78年のカンパSレコ、何故かクランクのみオフメガに変更されてる
ハブはMAVICの当時最新のベアリング内蔵
ブレーキワイヤはトップ通しでシフトワイヤはカンパ製のワイヤガイドでBBの上を通る
泣かせるのがフォーククラウン、なんと鍛造の鉄製でよく見ると剣先が短い
コロンブスの転写ステッカーには70年代のロゴ・・

分解され、塗装を落とされたあとメッキ屋から帰ってきたフレームはまるで新品。
当時の色を再現すべくオッサンの監修のもとオレンジメタリックの塗料が塗られる
マークやロゴはほとんどマスキングとエアブラシに頼る
実際、工房には古いステッカーは残っているんだけどノリがカピカピで使えへんから
Macでスキャンしてイラストレーターでトレース、色ごとにマスキングを用意した。

でも、出来上がったらなんだかスッキリ塗られてて味わいが薄くなってしもうた・・・
そこで、エージング 年を取らせることにした。
通常透明である最終層の塗装をやや黄ばんだ色に調整して日焼けをさせる。
シロも黄ばんだシロになり日焼けしたような感じになり雰囲気が良くなった。





オーストラリア、ドイツ、台湾と日本行+きドイツでのショーがあり
塗装ブースは大変なことになってきている。

2010/05/17

味噌しる4ヶ月

クリスマスに帰国
でもって日本の住居を改装するハメになってもうた
和室をフローリングに改装したり、壁紙張ったり、なんか工務店のオッサンみたいや
3ヶ月ほどかかって自宅を改装、嫁も移り住んできた・・ところが
工房ではオッサンがハシカを発症、頼んでおいたフレームはいっこうに上がってこず。

そこに通訳を探しているという電話
はいはい、イタリア自転車業界、日本人はムラーカのS氏と私だけで
ちょうど改装が終わってたんで嫁の反対を押し切り引き受けてもうた

1週間の取材同行を終えて、現在古巣のZULLO工房
待ってくれている日本のお客さんの分をなんとか終えるべく着いた初日からエプロン。
寝るとことメシは親方んとこ。
塗料にまみれた手でピザを食いながら確かに自転車作るのんが天職と思える

オッサンは先週あたりから復活してバックオーダーをこなしにかかってる。
今週末はドイツでのショーもありちょい慌ただしい。