2013/10/27

ホリダシ

掘り出したら・・でてきたん


ビンダ!
ペダルストラップ新品
3ttt (テクノチューブブTORINO製)レーコドステム
当時もっとも高級だった
ALEトゥークリップ
アルミとステンレスでサイズ各種
外苑のBESPORKサイクルミーティングで販売します!
今やもう使われなくなった部品たち、そのころ日本の各社はコレを模して作っていた頃のホンモノたち。ZULLO工房にいた頃部品屋さんやコレクターから譲ってもらったものなのだ。

2013/10/09

いちょう並木:秋バージョン

いちょう並木でまたまた試乗会、オーダー会を開催!



出品予定はリニューアルしたMOCCLE(先日、六本木のアクシス展示車)試走できるようにセットして持っていくことにしました。
春バージョンの時の風景
竹バイクのZAMBIKESもおとなりに
乗り比べもできちゃう!
そのほか、MASSO DESIGN WORKSのバケツブルー号(嫁さんの愛車)サイズ40
ZULLO パンタレイ (こないだムックに載ったヤツ)サイズ55
ZULLO INQUBO サイズ50 も試乗できる状態でお持ちします
そのほかZULLO、VINTAGE フレームなど古典的なこれぞイタリアン・スチールを展示予定

会場では採寸にも対応しますので、興味のあるひとは採寸だけでもOK
イタリアンメイド su misura のフルオーダーの説明もいたしますよ。

ちなみに私はミラノのシャツ屋さんに自分のボディーサイズだけ預けてあります
注文したことは1度しかありませんが・・



2013/09/04

アクシスギャラリー

展示会のお知らせです
下記日程にて東京六本木、アクシスギャラリーに地域の作家さんたちと共同で展覧会を行います。当方の出品は木製自転車のみですが作者本人が会期中に張り付きますので気軽におしゃべりに来てください。

出展はオーダー家具、手作りスピーカーやオーダー腕時計など
なんとなく知ってるそんなものたち。
製作現場を知り尽くした強者たちがジャンルを超えて集まります。
是非お立ち寄りください




会期

2013年9月19日(木)—21日(土)11:00ー20:00(19日は18:00まで)

入場料

無料

場所

AXISギャラリー 〒106 0032 東京都港区六本木5-17-1 AXISビル

主催

御田町スタイル運営チーム、NPO法人匠の町しもすわあきないプロジェクト、下諏訪商工会議所

共催

下諏訪町、下諏訪観光協会


>>お越しくださいましたみなさま、ありがとうございました!
残念ながら来れなかったみなさまは下記のアドレスからバーチャルで体感できます↓
バーチャル ギャラリー (開催時のパノラマ写真)



ふすまベイジュ

お久しぶりです。FaceBookへの投稿がメインになってしまってブログの更新をしていませんでした..スミマセン。

さて、好評のバケツブルー号 姉妹品”ふすまベイジュ”号が完成 先日無事納車されました



木製のグリップを装着してフロントは変速レス
9スピードのSOLAで超軽量のアルミロードフレームを街乗り仕様に仕立てました
フォークはフルカーボンコンポジットという贅沢な構成です
もちろん、1本1本、好みの色に仕上げます

打ち合わせ時のスケッチ
ふすまベイジュ(ふすまの裏紙みたいな”くすんだ”ベイジュ)
サイズバリエーションは400/440/480/520/540/570mm
価格は完成車¥188,000(税込み)

パン屋にお勤めのカナちゃん、とっても気に入ってもらえました
このサドル、柔らかい女性仕様サドルを当工房で本革張り
使い続けていくうちに木のグリップと同様イイ色になります
タイヤは自転車初心者のお客さんのために25Cとやや太めにして乗り心地アップ

2013/06/04

バケツとレモン


ウチの奥さん、今年の目標は自転車に乗ること らしい
で、試走に時々初心者が参加した場合どうなるか? というケーススタディーでついてきてもらう事にしている。時間配分やトイレの場所、スイーツ調査などに大活躍やねんけど乗らしていたのがトリンブルという大昔のカーボンMTBにスリックタイヤでフロントに変速はない。

数回目に試走に出かけたら・・
「なんか漕いでも漕いでも重いのはどうして?」

あ!やべぇ。。 自転車の違いがバレちゃった。
「おまえには車輪が大きすぎるから26インチのほうがいいよ」
という「おまじない」は通用しなくなってきた。
仕方ないので細いタイヤの軽い自転車を作ることにした。

400mmというちびっ子サイズのアルミフレーム
サイズが小さい上にアルミでものすごく軽い
色は水色系が欲しいらしい・・
ペインターと相談していたらとなりにモップと置いてあったあるものが気になった


試走に試乗に小さな女性にはぴったり。(大きな子供も可)というわけで、バケツブルー!
パイ屋さんのレモンパイを確認中の図



その皿、全部くれ!










バケツ・ブルーの次は ズロース・ピンク とか フェンス・グリーン を展開するかな。。

ビジネス・サテライト


テレビ東京 ワールド・ビジネス・サテライト という番組に出ました
放映に間に合わせるべくウチも地デジ化(まだやったんか・・?!)
でなんとか地デジ写るようになったんやけど・・ウチの地域では放映されてなく見れへんかった。シュン。。
見逃した方!Youtubeにアップされた映像からどうぞ。

(今、見たら 画面に「目指せ一大産地!」とあるけどそりゃムリやろ?!)



諏訪もシーズンinして早速、「サイクリングバスツアー」が行われました
お茶の水女子大と東大の学生さんが参加して諏訪界隈をレンタバイクでサイクリングした
あちこちでスイーツを堪能して足湯でほっこりのプランを引率しました
みなさんとても楽しんでもらえたようでよかった、ウンウン。



次回は自転車持ち込みの中級・上級サイクリストがどっと押し寄せるらしいのでコースの開拓と試走ですね。夏は霧ヶ峰から白樺湖、蓼科、原村あたりが気持ちいいので重点的にチェックです。
霧ヶ峰高原からビーナスラインで車山へ試走
オレ:ZULLO PANTAREI
奥さん:TLIMBLE MTB

2013/05/15

神宮外苑’いちょう並木

神宮外苑’いちょう並木でサイクルミーティングが開催される
ハンドメイドバイクメーカーが集う事になっている
https://www.facebook.com/BespokeCycleMeeting
KINOPIO:木龍もっくる
ZULLO :PANTAREI、INQUBO
AVEDIO :スペシャルペイントモデル
MODORU:タテ型スタンド、平置きスタンド
などを展示の予定です

みなさまのお越しをお待ちしております
おしゃべりしに来てね

2013/04/23

Pen

Pen(ペン)
という雑誌に取り上げられました。
http://www.pen-online.jp/pen/latest

思わず息をのむ、美しき傑作8モデル
●ケルビム   ●チネリ   ●ポルシェ
●コメンサル   ●パシュレイ
●ズッロ   ●キノピオ   ●ヘルムズ

息をのむ・・だなんて、マジ?
いま、店頭に出てるはず
Metro’ オッサンとこで作ってたヤツね
木龍モックル(マツコ)
 
ほかにもなかなかおもしろい自転車が特集されてるぞぉ。

レーサー指向の方々!アタマをすこし柔らかくするにもこれは是非買うしかない。
世の中には速さを競わない自転車があるのだ。

2013/04/10

インクボ



以前仕事をさせてもらったPASSONIの社長から「日本人の友達」というリンクが送られて来た。見てみるとZULLOのオッサンがRaphaのためにマシンを作るというムービーだった。Raphaがアメリカ以外に触手を伸ばすのは珍しい、今回はイタリア本家を代表してオッサンなかなかええ顔してるムービーや。

カッとしたパイプを見るその眼は私にとっては工房のいつも見慣れた顔やけど、街で普通に会うとただのオッサンにしかみえない。またそこがカッコええねんけどね。



オッサンが「日本人の友達」と言ってる。。ウン? オレのことか?


そやけど、ずらりと並ぶ有名ビルダーたち。
でもこの中で、ツール、ジロ、ブエルタ、世界戦にオリンピックと各選手にサプライしたビルダーはアンタだけや。 
たいしたもんやなぇ。。尊敬するわ


ところで、ムービーでは今回のモデル名 inqubo とは イタリア語のINCUBO(悪夢)となっている

どうしてか?

そのフレームの開発はものすごく大変だったのだ。
あれは2006年だったかな。。オランダからデカいにーちゃんがやってきてスチールフレームを頼みに来た。デカい上にオランダ人だから足がチョー長いときた。
計ると、フレーム高さ625mmという寸法だ。そのオランダ人はアメリカのビルダーなどで作ってもらうつもりで頼んだらしいが、600mmを越えると直径の同じパイプが長くなって剛性が出ない上に長さも比例的に600mmを越えるというサイズに納得がいかなかったらしい。 そのオランダ人、体型がそこいらのホビーレーサーとはちょっと違う、それをオッサンはすぐに見抜いてレースの経験を聞き出した。すると彼の地域でも1〜2位を争う実力の持ち主だとオランダ人の奥さんが通訳するではないか・・。

問題は特大サイズ
1)スチールパイプの外径はラグを前提としているので径が細い
 =シナリが出てレースには向かない
2)通常の計算式では高さに比例して長くなる
 =オランダ人のように足の長い体型の場合フレーム高さより長さが短くなる場合がある

カーボンフレームは金型を起こして作るのでメーカーはここまで大きなサイズを作らないのである(売れない) さて、困ったもんだと思ってたらオッサンが物置から変わったフレームを持ってきたらスチールのトラックフレームだった。スペイン:リャネラス選手の為に作ったリヤチェーンステーが24mm、リヤバック18mmと太い無骨なフレームで世界戦で優勝したフレームだった。

ロードレースは速度変化が勝負を決める、とくに彼のような集団に付いていって最後に差すような勝ち方をする選手はレスポンスが重要だという。車長を詰めてレスポンスをよくすると同時にスプリントでの踏み負け、フレームのたわみをできる限りなくす設計をしなくてはいけない。そのため、デダチャイに特注をかけることになった。

クイックリリースの作動確認図面

初期のINQUBOステンレス製リヤエンド:大阪八尾製

現在は軽量化のため穴あき加工がされている


材料はもっとも軽く薄い鋼管EOM16.5、この原料管(製品形状に加工される前のパイプ)を使うことで外径が太くできる。それに合わせてヘッドチューブも大径化が必要となる。なぜなら選定した幅50mmのパイプに46mmのヘッドチューブは溶接できないのである。デダチャイにほぼ全てのパイプセットを特注しリヤバックをリャネラス仕様の24mm+18mmの同シリーズとした。ここで上がった問題はリヤエンドである、通常パイプに差し込んで溶接するエンドはパイプ径が特殊すぎて使えない。これも専用設計となり私が担当し、初期ロットは東大阪で加工したものだった。

ようやく出来上がったフレームを組み付けてみると、極太チェーンステーとクランクの隙間が2mmだったがしっかりとしてタワミのないパイプなので組み付けるシマノDURA-ACEクランクは問題なくセットされ納車されていった。その後、数カ国に輸出を開始して間もなくあるメールが飛び込んできた。

「クランクと接触して使い物にならない」という ・・?
数ヶ月前にカンパがカーボンクランクをリリース、どうもそのクランクを付けたお客さんだけが問題を起こしているようだった。早速、カンパ本社へ電話して図面を要求するも「企業秘密」をタテに全く出てこない。老松町に電話を掛けてシマノさんに話すると国際電話で15分後にFAXが届くレスポンスの良さ(さすが!)。問題のカーボンクランクを自腹を切って購入して組み入れると、レーコードとは違う金型で製造されている下位グレードのクランクはペダル間隔(Q-factor)を上位グレードと統一させるためにカーボン繊維の剛性不足をフレーム側への肉盛りで対応している事実が発覚。問題のINQUBOフレームは回収しなくてはいけなくなったのだった。 
実際この回収騒ぎに工房が傾き、私が家賃を払えなくなったのは本当の話です。。。

その後、極太チェーンステーをデダチャイの工場の片隅で何回もベンダーで曲げてやや湾曲させて使用することになった。オッサンと真っ暗なデダチャイの工場の片隅でベンダー借りてセッセとマゲマゲしてたのを思い出す。このシチュエーションは「お先、真っ暗」なイメージそのもの。素晴らしいと思うモノを一生懸命作って、お客さんに怒られるのは溜まらなく辛いのだった。

緩やかに曲線を描くチェーンステー
もっとも幅の狭いカンパ・レコードトラックもクリアしています

クリスキング・インセットを標準装備にしてみました

パイプが大きいとグラフィックが冴えるね
NAHBSポートランド参加作品

ギリギリまで肉を落として剛性を維持
リヤメカのハンガー位置がやや下方にあるのがミソ

泣かされたカーボンクランクも現在のものは薄くできているようで大丈夫そうやけど、当時、知名度の無かった小さな工房へのカンパの対応と来たらホント。。
 基本、クランクはシナっては行けない部位、カーボンクランクの利点が軽量化以外に理解できません。アルミじゃダメなん? さらにQ-Factorなるものはハンドル幅と同じで、ある程度寸法がないと不安定になる場合があるので注意が必要。


ま、そういう理由で 悪夢の INQUBO 開発秘話でした。










2013/03/29

要塞都市(回想録3)


最初に移り住んだアパート、コルベットというミラノ地下鉄の駅ちかであった。あたりに駐車される車をみればその地域の治安がうかがい知れる。駐車される車のハンドルにはしっかり棒状のロックが付いているものや窓ガラスの割られたものが多いのだった。もともと戦後に建てられた分譲住宅で決してカッコいい事はないがビンボー学生にはそこそこに広くて家賃も物価の高い中心街よりかなりリーズナブルだった。まず、外国人だとなかなか借りる事が出来ないのが本当で、選ぶほど貸してもらえる物件が無かったのだ。そこは大家さんであるローザさんのおかあさんが住んだアパートで古い家具がそのままだった。住み出すといつの間にか日本人が集まり、私はみんなで住めば家賃の負担も少なくなるので当初3名でそのアパートを借りたのだった。その後、家探しで困っている学生などが避難してきたりで時折6~7名になることがあったが山小屋のように皆一時の宿にして出て行ったものだ。


そんなアパートにドイツから珍客がやってきた、妹だった。彼女はドイツの南ミュンヘンという町に住んでいた。そこから列車でイタリアにやってきたのだった。しばらくミラノに滞在した後、「次はおれが自転車のっていくわ」と別れ際に言ってしまった。そして夏が過ぎ、どの工房へ行ってもなかなか働かしてもらえるところが見つからない。だんだんと資金もなくなりかけて焦っていた頃、ふとドイツに行ってみたくなった。お金がないのでもちろん木製自転車を漕いで行くのである。交通量の多いミラノからブレーシアまでは国鉄の普通列車に自転車を乗せた。ブレーシアという駅で降りる予定だ。途中、国鉄の車掌があまりにおかしな自転車を積み込むものだから私の席のとなりに陣取り動かない。根掘り葉掘り色々質問されて車窓なんてまるで見ていない、その頃はまだイタリア語もままならずものすごいエネルギーを費やさなくては返事もできないのである。



なぜか駅によくある体重計












「ところでおまえ、その変わった自転車でどこまで行くんだい?」ドイツへ向かうと告げると「すげぇな、でもおまえら中国人は強いからなぁ」とまたもや中国人と間違えられつつ ブレーシアからガルダ湖畔の道を北上するつもりだと伝えると「え? ブレーシアならさっき過ぎちまったぞ」・・「え?マジ?!」・・車掌、アンタのせいだよ。 そう、国鉄列車の車内で日本であるような「次の駅は・・」というアナウンスがある訳もなく、駅に掲げてある看板だけが頼りなのである。自分がいる列車の車窓によっては看板が見えない場合も多々あり初めて行く場所では列車が減速すると必ず外を「ガン見」しなければならない。 次の駅はペスキエラ、駅の手前に湖が一望できる古橋の上を列車がスピードを落として走るとそこは湖畔で要塞のある城下町が見えた。乗り越したにもかかわらず車掌は「頑張れよぉ中国人!」といって次がペスキエラだと言って教えてくれた。もちろん、乗り越し料金は取られなかった。

ガルダ湖畔トルボレの街
ここから果てしなく登りが続く



当時、グーグルマップなんてモノはなく当然クルマ用のツーリングマップの必要なページを切り取って持っていったのだった。ペスキエラの要塞を背に湖を左手にみながら北上する、ミラノの都会にいると見えない大きな風景が広がっていた。都会の喧噪を離れただひたすら北を目指す、何がそこにあるかはわからない、本当のことを言うと妹に会うなんてのはどうでもいいのだった。ただ知らない土地に行ってみたかったのである。途中アルプスを越える事になるが木製自転車で山を越え、異国に行くというバカなこともしてみたかったのである。ペスキエラを出てしばらくするとトルボレという町からチロル川(イタリア名:アディジェ川)に出るという看板があるがその道はひたすら登りである。峠を越すとちょうど夕刻、テントを張れそうな場所を見つけないといけないと焦るのだがそこにパニーノを売る屋台があるではないか。トラックを改造した屋台の前で片手にレモンソーダをもち生ハムに夢中になりながらパニーノにかぶりついていると自転車を興味ありげに近づく男がいた。


<つづく>

体重計:なぜかよく街中に見かけた「体重計」、あるイタリア人がなぜだか説明した
「ひとに招かれて食いに行く前に計って、帰ってきて計る 何キロ食べたかわかるだろ」
 本当は70年代健康志向のブームがあって体重を計り数値化するということが「健康」だという風潮があったらしい。

レモンソーダ:コーラ、ファンタの類は飲まないが、この「レモソ」だけは別。 コレがあるとBARでも必ず頼んだ。不二家のレモンソーダ(クロにシロの水玉)に近くやや炭酸がマイルドなのだ 姉妹品にオレンジテイストもあるがそっちはオススメできない。

ペスキエラ : この駅がこの数年後、自分の最寄り駅となる。イタリアでもっとも大きな湖を源とするミンチョ川の始点であり第一次大戦の際にオーストリアによって築かれた湖上の要塞都市。http://www.comune.peschieradelgarda.vr.it/
(役場のHPでは”イタリアの宝石”とうたわれているが、イタリア人が作った城跡ではない)




より大きな地図で 木製自転車はアルプスを越えられるか? を表示

2013/03/27

オット・トゥービ

イタリアで修行したいと1年に一回ぐらい迷える子羊から問い合わせがやってくる
その子たちに「じゃ、どこの工房に行きたいの?」と聞くと「ビアンキ」とか「コルナゴ」など有名どころのブランドの名前が挙がることが多い。
しかし私が本当に「工房」として認めるにはそこに情熱があるかどうか。
日本で有名なイタリアのブランドは「ブランド」であって「工房」ではないのだ。

そんな書き下りをするとあちこちから揶揄されそうだが、あえて書くことにする。
なぜなら、10年来の友人 ダビデ君と企てたショップが大きくなってイタリアハンドメイドバイクショーを決行することになってん。

本人は家族を連れていま、来日中でウチに泊まってるんやけど、ネットを使って地球の裏側にいる8名のスタッフとミラノの2店舗と連絡をしきりに取って準備している状況や。

スポンサーであるコロンバス、デダチャイなどのメーカーが材料をフレームビルダーに支給し、展示会のために数本のフレームを作る。トークショーも開催され若手から重鎮までのビルダーが招かれている。 実は、海外組みの筆頭にウチの名前が挙げられたんやけど会期が近すぎて作れへんし、ウチはパイプやなくて「木材」使うから来年に参加することにした。

でも、この展示会、「ottotubi」(オット・トゥービ)は今後ミラノからどのような発信を世界にしていくのか大変楽しみな展開になりそう。イタリアで現存するハンドメイド工房の今を知るには絶好の機会になるだろう。


会期:4/9〜13




ちょうどミラノサローネが開催されている時期なのでミラノを訪ねる人も多いのではないだろうか。。 


こんな長い自転車見たことない。。
タンデムに子供用トレーラーを装着
ダビデさん一家3人と 三峰川<>高遠 のサイクリング道を楽しみました


2013/03/26

宮殿の錦(回想録2)


フランコは携帯電話を持っていない。ミラノの市街局番から始まる番号をレシートの裏に書いて持たしてくれた。2003年の冬だった、彼からヒストリーバイクの展覧会がモンツァであるから来ないかと誘われた。クルマのない私は言われた住所に自転車を漕いで行ってみるとなんと元モンツァ公国の宮殿にたどり着いた。入り口には「ロードレース100年の歴史」と銘打って講演会が開催されようとしていた。




正装姿のレセプション、当然ながら私はジャージパンツにGジャンという行動的ないで立ちでミラノのアパートから自転車でやって来てしまった。場違いな雰囲気が漂うなかおもいきって乗り込むことにする。重さ数百キロはあろうかという鍛造の門扉を抜け玉砂利の敷き詰められたアプローチを自分の木製自転車を押して進んで行く。真っ白いその宮殿はあまりに荘厳で真ん中まで行って帰りたくなる衝動に駆られるが ぐっと我慢して歩を進めると「あなた様はどちらの方の紹介ですか?」と視線を私の履いていたボロ靴に移していつもと違うていねい系の言葉で聞いてくるではないか。

いつものように発展途上国からの出稼ぎ労働者と間違われるのにも慣れていたが受付嬢の眼はとても冷淡でこちらに蔑んだ眼差しを向けているように思えた。私は「あのぉ、そのぉフランコさんに招待されて」モジモジしながら小心者まる出しで言うと受付の女性は急に笑みながら「やっぱり、フランコさんのご友人ね!その素晴らしい自転車は受付の私どもがしっかり見張っていますから、さぁ、どうぞ。」  ガチガチに固まったココロの氷山が溶けたのだった。会場の中には地元ブーニョなど有名選手達、カザーティ工房のジャンニ、コルナゴなどベネト州を代表するメーカーが顔を揃えていた。そんな大物がビシッとスーツを決めている中、私以外にもうひとりかなりルーズな身なりの男が舞台にいる。

彼はGIROで優勝し富と名声を得たジャンニ・ブーニョがスーツでキメキメのとなり、いつもながらのラフなスタイル。といってもアメリカの俳優が壇上でするあえてルーズなスタイルではなく、本当にそこいらのオッサン的なのだ。イタリア語には丁寧に話すときに使われる文法や語句がありそのオッサンの風貌にふさわしくない最上級の敬語で話しかけられていた。

ファウスト・コッピが使用したもの

モゼールがアワーレコードに使用した


展覧会はその宮殿から数キロのホールで開催され見たことないような実際にレースで使用された自転車がずらりと並んでいた。会場にいたフランコにこれらの自転車はどこから持ってきたんだい?と聞くとそのほとんどが彼のコレクションだという。ざっと70台ほどあるだろうか・・彼は自分のことをコレクターなんだと言って笑っていた。 後日かれがくれた電話番号に電話する機会があった時のこと、本人が出るかと思いきや若い女性が応対してくれてミラノにある会社のオーナーであることがわかった。 数年後、ある雑誌の取材でコルナゴへ通訳として同行した際にエルネスト本人から彼は資本家で自転車が大好きなんだと知らせれた。 私がイタリアで本当の金持ちというものはどういう姿をしているのか、ひとは見かけによらないのだと思い知らされた。

そして頭の中に白い宮殿と自転車を押すアジア人の出稼ぎ労働者が浮かんだ。。
でも「ボロは着ててもココロは錦」なのだと自分に言い聞かせた。


1984 チネリ レーザー クロノ


1931 マイノ

1956 ビアンキ 油差しが付いている

1946 LYGIE


<つづく>