袴に着替え親方にお礼をして工房を出た。
8年の長い間イタリアでの修行を終えて日本へ帰る。
理由は様々やけど、5年ZULLO親方に世話になった。
日本からのオーダーを全て作り終え飛行機に乗る。
思えば長いようで短かったなぁ・・
<ローマからの機内で思うこと>
2002自転車作りの修行を決めてイタリアへ。右も左もわからなかった20代後半、あっという間にアラフォーなんて言うところにばっちり収まって頭の毛がちょいと薄くなってきた・・。8年間、ただただ最高のフレームビルダーになりたい一心でなりふり構わずひた走った。ミラノから始まり、CASATIさんのところでは事務員のクリスティーナと柔道仲間になったり。トレントのサンパトリニャーノの施設では某有名メーカーの下請けをやって、ペゴレッティのグラフィック塗装も施設でやった。それからヴェローナのZULLOさんとこ。たしかトレントから最後の引っ越しはオンボロのベスパで工房のあるヴェローナまで真っ暗な中を走ったっけな・・。
自転車、それは人の生命をも左右するその作品でたった8kgの道具が80kgの人間とその脚力だけで時速60kmを可能にし200kmの距離を移動する。この人類の発明したすばらしい道具をいまだ延々と試行と改良を重ね手作りしている人たちに出会った。レースに培われた土壌があるこのイタリアで少しでも軽く強く美しく作品を作るひとたちがいた。またそれを支える文化があった。
それに出会うことが出来た喜びと知る事のおもしろさ、当初はそれだけで幸せだった。恩師のすることのまねからはじまり、おっかなびっくり自分の持っている引き出しを開けていろいろな困難を乗り越えてゆく。それを自分なりに改良していくと自分なりのスタイルが出来上がってゆく。ある部分では師弟は同等の立場になることがありまた立場が逆転する場面もある。習う立場から時には教える立場になる。恩師が私に教えたように誰かに教え伝えるのが責務であるとも思えるようになってくるとなんだか当初のようにワクワクしっぱなしというわけには行かなくなる。
無給で働くこと8年、途中いろんなオファーがあったがいちど師を決めたら全てを吸収するまで動かないのが私の信念で名のあるメーカーからのオファーを断り続けてこのZULLO工房に居続けた。つぶれかけていた工房はいろんな人の助けで再び羽ばたいた。羽ばたいたら工房も潤ってくるにちがいないと気張った。じり貧だったので家を引き払い家賃を材料費にあて自分は工場で寝ることになったりもした。年産100本のフレームという目標をたてて3年後の昨年なんとか到達した。この数字、制作することは簡単にできるが「売る」ことが難しいのである。 ちなみにこの工房では完全に受注生産なので「作れる」と言うことは「売れた」ということである。
その道35年の職人と駆け出しの日本人はすばらしいコンビで新しい試みを次々に実現していった。世の中はカーボン一色の時代に伝統工法で自社でお客の体格や好みに合わせて制作する特注専門の工房へと変化した。ちょうど全世界的にインターネットが普及し個人が国境を越えダイレクトに工房に注文が出来るようになった時でもあった。アメリカをはじめオーストラリア、カナダ、ドイツ、フランス、イギリス、スペイン、ハンガリー、シンガポール、台湾、そして日本へと次々にフレームは送り出され数年後には見本市で高い評価を得るようにぐんぐん有名になっていった。
その反面なぜか寂しい気持ちがムクリとやってきた
ブランドを育て一人歩きするようになるとなんか自分のすることは終わったような気分になったものだ。いろんな雑誌社が取材に来るがZULLOというブランドは親方の名字である。評価が上がれば上がるほど寂しい気分になった。親方が身長や体格からフレームの各サイズを算出しプレカット、溶接を担当しヤスリ掛け小物溶接と溶接仕上げをどちらが手の空いている方が担当。仕上がったフレームへの塗装は全て私が担った。日本人向けにはイタリア人の手による100%イタリアンが好まれるようで私は表には出ずデザイナーということで自己紹介をしたものだ。
工房ではお互いをマエストロと呼びあい、いつの頃からかヴェローナの方言を喋る自分になっていた。どうしたことか「じり貧」の私にお嫁さんも来てしまった。このままじゃマズイ、特に経済状況が最高に良くない。当初の念願だった到達すべき所には着いた、長く同じ道を続けて走っているといつの間にか自分が臆病になっているような気分になってしまう・・ホントはそうなのかもしれない。ここは思い切って方向を変えてみようと思ったらおじさんが病気になった。チームワークはガタガタになって生産がストップ、私は日本人のお客から大夫と怒られたものだ。その冬、猛烈な寒さがやってきた。連日の氷点下で暖房のないねぐらはまるで雪中キャンプだった。私はVISAがもらえず家が借りられないとういう事態になって半年が経っていた。さすがに不法滞在を重ねるわけにもいかずクリスマス後に日本へ帰らざるを得なかった。
ようやく暖かくなってきた頃、雑誌取材通訳で現地へ飛んだ。すぐさま工房へ行って、もらった注文分の制作にあたる。工房で2ヶ月フルに働きもらった注文の全てを発送し肩の荷が下りた。評価をいただけるのはうれしいが注文を取り次ぐと親方が身を削って制作にあたる。これではなんかイジメているようで心苦しいくオーダーの受付をやめようと思った。全てのオーダーを終えた今ならノーと言えると。
といろんな事を考えてマエストロ・ズッロが教えてくれた事を自分のブランドに活かしたいと考えるようになった。
今まで応援くださった皆様には大変感謝しつつ日本へ帰国することを決意。ZULLO工房は今後も存続いたしますが私の取り次ぎ業務は一端終了いたします(日本国内で私が塗装できる可能性を探っています)
私は8年前にミラノから始まったようにもう一度、日本でゼロからスタートです。
安田さま
返信削除はじめまして。実は年内にZulloを注文できればと思い、
ある方の紹介で、サイトのフォームから質問をさせて頂きました。
皆、日本人のスタッフの方がいるので安心して注文できると紹介してくださいました。
役割を終えられた充実感を共有できる内容のすばらしい内容の記事でしたが、寂しく思う人も多いと思います。
年内にオーダーできるよう頑張って工面をしています。
納期などは拘りませんので、何とか注文サポートを行って
頂けないでしょうか?
本日もフォームからこの記事を読む前に「日本人スタッフの方に取り次いで欲しい」旨送信してしまいました。
実は自転車の素人ですが、初めての購入だからこそ、サイジングい拘りたいと思い、既成のものは購入するつもりはありませんでした。
あと、zulloのペイントの美しさも決め手です。
今、Vintage(マルーンカラー)か、Masoさんがblogタイトル”アルプス1万尺”で紹介されていた動画のフレーム(INQUBO)とそのままのカラーが検討中です。
長く愛用するにはVintageの方が良いでしょうか。
ずうずうしいお願いで恐縮ですが、購入の際は是非、サポート頂けないでしょうか?
皆さんのその言葉に支えられてオイラ頑張れたっす。
返信削除そうですよね、現在イタリア現地の友人などにお願いして助っ人になれる人を探しています、が。手前味噌で言うわけではなくやはり日本人の繊細な感覚は特殊です。自分で言うのも変ですが仕上げの良さはダントツでした。
どうしたら皆さんの期待に添えられるか・・
ある人が言いました
「日本で塗ったらええやん」
うん? 一番日本向けで困ったのはやはり仕上げ
そこを日本の塗料(世界一のクオリティー)でオイラが仕上げる・・
イケるかも。
腕はありますから
塗装ブース貸してください!
ってことですね。
聞いてみます
さっそく親方に聞いてみました。生地出荷
返信削除親方もその方がええと言ってました
継続して塗りが出来る場所と設備をさがします
はじめまして。
返信削除密かにZULLOを欲しいと思っていた福岡県の者です。
当方身長の割に腕が長いため、なかなかぴったりの吊るしフレームが見つからないことがきっかけでフルオーダーについて調べていたところ数ヶ月前にZULLOの存在を知りました。
塗装も大変キレイで興味が日に日に湧いてきたところでした。安田様のブログを読んで購入しづらくなるのではないかと不安に思いつつも、上のコメントを読んで少しホッとしたところです。
実は私は大学院生で、来年から就職です。働いたら真っ先にZULLOのフレームをオーダーすることが夢です。
ブログを通じて、これからの安田様に密かなエールを送らせていただきつつ、来年の今頃購入のサポートをしていただけたら幸甚に存じます。
これからの日本での活躍を楽しみにブログを読ませていただきます!
何度も読み返してしまいました。
返信削除日本に戻ってこられたのですね。
色々とありがとうございました。
日本での今後のご活躍を影ながら応援しております。
イタリアの走る世界遺産『MaxSilenus』♯2より
andarusiaさん
返信削除そうなんです、マジメに働いたんですけど不法滞在なんていわれて・・。
でもね、法律は法律。おかげでイタリアではたくさんの工芸に携わる職人さんがいなくなってしまいました。それは政府の政策に寄るところが大変大きく、文化の一角を担う工芸、アルティジャナートがイタリアから無くなりつつあります。でも彼やいろんな工房から吸収して私のアタマん中にいっぱい詰め込んできました。それを駆使して日本で、日本人による日本の製品を世界に向けて売っていきたいものです。材料は・・まだナイショ。
MaxSilenus、走る世界遺産って・・いい響きですね。
たしかに、最後の最後だったしね・・
コロンブスのSLXやTSXの設計者:ジェゴベージとエミリオがパイプを、
2代目モンドニコがオヤジの閉鎖された工房からラグを
ジロやツールにMaxをサポートした職人が溶接して
どういうワケか日本人が塗装・・
作っててホント、「ブルッ」としたもんですよ。
でもね、作れるってのは乗っていただける方がいるからで、感謝です。
無事到着され何よりです。
返信削除私も近所の芦屋のお店の店長と連絡を取ったりして、
適正なサイジングを確保できる環境は整いつつあります。
あとは今のタイミングで発注すれば、塗装がイタリアでの外注になるようですので、
安田さんが最終の仕上げを受け持って頂けるようになるまでペンディングにしたいとは思います。
かの地で心無い見方をされるされる事もあったのだと思いますが、すばらしい文化的貢献だと感じます。
是非、今後も親方と日本を繋ぐ存在になって頂きたいです。
また、情報をお待ちしています。
おかえり〜
返信削除気がつけば8年もの歳月がたっていたのね。
滞在中に一度は伺おうと思いつつもいけませんでした。
また飯でも一緒に食いましょう!
satoru shibata