2015/02/11

クラシコ

クラシックフレームに合うステムとピラーが日東製しかなくイタリアというこだわりを持つユーザーさんから要望を頂いていたアルミポリッシュのパーツを準備してる。ただし昨今のハンドルバーはオープンタイプのステムを基本にしているので曲がりがキツく本当の片開きビンテージステムだとバーが通らん!そこでオープンタイプのステムを彫刻して磨いてみた。これならクラシックな雰囲気を損なわない。

ステム 80mm\100mm
  (ハンドル25.8ー26.0mm)
2本締めピラー 27.2mm


2014/09/09

オリジナル

ドイツでの見本市を終え イタリアに
工場は移転したけど懐かしい場所と人々。建物は古いけどなんかピッタリ。

今回は身重の奥さんを置いて一人旅(またか…) おじさんに再開し40年前に創業した場所へ連れて行ってくれた。


早速、工房では溶接に色塗り デザインなんかがドッサリ。

10日ほどの滞在ですが勘を取り戻しつつ頑張ってるで。自転車に乗るのと一緒で一度できるようになるといつでも出来ちゃうもんだよね。イタリア語も日本にいる時はほとんど使わないけど長年居たのでもう忘れないのといっしょやな。



2014/09/03

ブレンネロ

帰国後 初めて成田から飛行機に乗った
行き先はスイス チューリッヒ
ドイツへ電車で移動してヨーロッパ最大の自転車ショー「ユーロバイク」が開催されるボーデン湖へ向かった



その後またしても陸路 電車を乗り継ぎイタリアを目指す。以前ならレンタカーで移動なのだが今回はイタリアからのフライトでローカル線を乗り継ぐ。まるで青春18切符の旅やん。

オーストリアインスブルックで1泊、翌日ブレンネロ峠を越える。途中の車窓から木製自転車で峠越えをした10年前に通った道を眺めた。

トレントに寄って、ジャンニ ペゴレッティに会い泊めてもらう。昔 一緒にいたSanPatrignanoの話で盛り上がった。ちなみに、フレームビルダーとして有名なペゴレッティは彼の兄で以前は一緒に働いていた。

10年前に比べてみると やっぱ歳とったなぁ。。現在はカーボンバイクのカスタムをしている


Zullo工房の近くの村 サンジョルジョ
ここから数分の場所

工房が新しくなった というが。。場所が変わって建物は古くなってるやん。でも前のとこより雰囲気があってイイ。


到着した次の日から、手伝です。
おじさんは元気でよかった。
日本からのオーダー 頑張りまーす。

つづく

2014/09/02

ポア

イタリアの現地工房へ打ち合わせ出来ました
新しいジャージが上がってましたが皆さんいります?

¥12500 送税込 

ご連絡はメールで!
サイズもお忘れなく。

2014/08/26

ビダ

多くの資本を必要とするプロダクション、大量生産することで価格を下げて普及を図るマスプロダクションによって現代人はおおくのものを手にしてきた。しかし、その反対側にあるプロダクトも辛うじて残っている。

現代においてそれは必要無いとも思えるが、もし世の中の製品がすべて画一化されてしまい道を走るクルマは全て同じ色だったり、もしみんなが着る服がすべておなじだったらそれはつまらない。。人はそれぞれに「違い」があるからこそ探求に値する。「個性」とは無駄に思える「違い」でありそれこそが多様性そのものなのだと思う。

たしかに現代社会は効率化を進めた。結果その生産性の恩恵を受けゆとりのある時間や、多くのものを消費できる社会を築いてきたがその反対側である非効率的なものは本当に社会から無くなってしまっても良いのだろうか? 私はその両方が必要で、例えるならユニクロの靴下もテーラーが作るオーダーシャツもアリなのだ。

自転車に当てはめるとマスプロダクトの製品がある一方で「そうではないもの」もある。少数派である「そうではないもの」はなかなか目にする機会がないのが現状。以前はアメリカで行われていたNHABSがそうだったが近年マスプロダクションの趣が強くなってきてしまった。そこでメーカーであるビルダーとその製品、哲学や生き方に触れる機会を作ってみたい。私は自転車というものだけではなく日本のビルダーや世界のビルダーたちの作品以上に「その人」にとても興味がある。

メーカーとユーザーという垣根を越えた交流の場を作ってみたい。先日のZULLOミーティングを開催したときから強く思うようになった。

ならば、やってしまおう。

なんてチョロッと言ったら

場所が決定
(現在スタッフとして動いているみなさまありがとうございます)
国指定重要文化財:片倉館 諏訪湖
シルク号で有名な片倉工業の片倉財団所有 1928年に作られた建造物

重要文化財のなかでショーができる
ビジターも出展者も楽しめる温泉付で諏訪湖畔

2015年 05月 29〜31日(3日間)

スタッフ及び準備不足で本年度の開催は見送られました。
シュン。。

BICYCLE INTERNATIONAL INTERCROSS DESIGN ARTISAN

BiDA 2015

どやろ?

昭和2年にたてられた洋館、しかし内装は純和風。アメリカ、ヨーロッパから決して表に出ない名工達を集めたい。自転車の台数ではなく、それに人生を掛ける「職人」にスポットを当てる。

現在 企画進行中 手伝い 協賛求む!

オレはこの件についてイタリアに行って各方面の協力を要請してこようと思う。。
というわけで、9/20頃までイタリアにいます。

2014/08/05

ニャー

6月〜7月に頂いたたくさんのオーダーのスケッチを描く毎日
描いても描いても・・終わらない
終わらないのはオレが無能なのかもしれへんけど
クライアントの心変わり・・がほとんど。

でも

とことん付き合うのである。
だって、どんなに性能が良くても。。
サイズがジャストフィットでも。。
ダサイと乗る回数も減るというもの

漕ぎだしたらどんな色かデザインなんかはどうでもええ
時速50kmで走る物体のデザインなんかみれへん。

でも

乗りたくなるデザイン、人に見せたくなる自転車を目指す
人は本能的に人の眼を気にしながら生きているもの
(NHKスペシャルで言ってた・・)
カッコ悪いのはダメなのだ

だから、いっぱいスケッチを描いて
納得してもらってから塗装
最近は工房から他国へ輸出されるものまでスケッチ描いてる
オレが工房に居た昔のままの分業やん。

シンガポール行きVergineの例


やはり、これに決定。
コントラストの強い組み合わせがアジアンにはウケる
日本人が思う上品さ=高級感は世界的に通用しない
 さらに
最近はトカゲ、改めヤモリ

とか ネコ なんかを依頼されるニャー

今度は ツバメ ときた!
その前はコウノトリもあった・・

カラーバリエーションも展開して

イケてない色の組み合わせの場合も納得してもらうためにスケッチを描く

そしてデザイナーはぐったり。。

でも、やっぱり描く
だって塗る前にどうなるか、そのイメージを具体化できるこれって
とっても素晴らしいと思う。

国を超えてどんな言語の人が見てもわかりやすく
お客さんのイメージ通りのものを作る
イロヌリの図面のようなもの。
大事である
・・と言い聞かせて
今日も描くぞ





2014/06/17

カステッリ

オレがまだ高校生だったころ。。
祖父に買い与えられたロードレーサーを乗って往復40km通学路
消耗品だけでも結構なお値段になる・・思いついたのは自転車屋さんのでのバイト。もちろん、学校では禁止されていたがそんなもんお構いなし。

高校からの帰路、1件づつバイト募集はしてへんか?と聞いて帰る。1日1軒と決めていて2週間ほど経って1軒がバイトにOKを出してくれた。そこで部品を安く買わせてもらい、お小遣いを貯めては旅行に行った。ある日、雑誌に出ていたあるフレームに眼が釘付けになった。CASTELLIとあるフレームでクロに近いムラサキで3〜4色のドットがあしらってある。それは他のイタリアのフレームとは違いおとなしく細く美しいのだった。速さを表現するデザインが多い中、それは上質なオーラに包まれていたのだった。

学業はそこそこにバイトに身が入りなんとか代金を貯めて当時の輸入代理店に問い合わせをするともう取り扱っていないという・・残念だった。その後、猛烈に欲しくなるイタリアモノは現れず、記憶の彼方に忘れていった。

それから15年、自転車小僧はイタリアへ渡り本格的にフレーム製造をするようになる
カザーティーさんからのオファーを断りトレントのサンパトリニャーノへ、そして業界の重要人物達に出会う。良くしゃべるイタリア人のブランドオーナー達、でもそのなかに物静かで強くどことなく優しいオーラを放つひとがいた。彼の名は「TIZIANO・ZULLO」、時代に忘れられたTVMのサプライヤーだった。

トレントから彼の元へ友人に借りた50ccのベスパに乗って2日かけて移動し、彼の元での修行が始まった。当初、年間20本程度の生産台数で私のすることはもっぱら掃除。ヤスリからホウキに持ち替えて日々掃除に明け暮れた。お盆をまえにカタログや古い写真を整理しているとそこに自転車小僧時代に欲しくて欲しくてお金を貯めたあの「Castelli」フレームのカタログが出てきた。私はホウキを傍らに置いて見入っていると、後からZULLO氏が「それ、懐かしいなぁ・・オレが作ってたんだよ」と独り言のように言った。なんと「縁」とは不思議なものである・・
憧れたバイク[Castelli]

夏になると店にある19インチのTVでジロやツールの中継を見るしょぼくれた彼の背中を見ていた。工房や店を掃除するとUCIツール関係のパスや書類、ヘルメットをかぶっていない時代のジロやツールの写真が出てくる。その度に私はこのおじさんがただ者ではないと確信していった。もう一度、彼を世界の第一線に返り咲かせようと決心した。それは彼のためでもあり「ホウキ」から解放されたい自分のためでもあった。以前は冬季3ヶ月の帰国をして以前からしていたディスプレーの仕事を完全に辞めた。退路を断ち1年を通して工房に居着きターゲットを北米で行われる「NAHBS」ポートランドに合わせた。当時は十分な売り上げがなかったので練習ができないどころかアパートの家賃もままならず工場の2階にある物置の片隅にテントを張って寝起きした。

この間、日本に来たときに私に打ち明けてくれたそのころのZULLO氏はコロブスのn.2ジェゴベーゼ氏やカレラのブラッキ氏にその日本人は要注意だと忠告されていたらしい。彼らにZULLO氏は「まぁそう言うな、彼にもチャンスを与えなくては」と言ってかばってくれたらしい。確かに、ヘンな日本人が転がり込んできたとしか見えなかっただろうし、業界のウラ話をすっぱ抜かれたら大変だという危機感からかも知れない。オランダ人の奥さんをもつZULLO氏は外国人だから[危険]という概念は他のイタリア人に比べて持っていないのでとてもありがたかった。

工房ではあの手この手でカーボンやアルミを使用することをやめるよう説得し、原点へ回帰するスチールフレームの制作を進めていった。ちょうどコロンブスがステンレス鋼管XCrを開発したところで私たちはその最初のテストロットでフレームを作り、ポートランドで行われるNAHBSに持っていったのである。その前後にはブランディングに欠かせないヘッドマークやロゴの選定、モデルの統一などを私が担ったと同時にグラフィックやペイントの一切を担当した。それから数年、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オーストラリアなどへ順次輸出されるようになり銀行から返済催促の電話は鳴らなくなり工房は息を吹き返した。ZULLO工房が安定してから私は業界の頂点と思われたパッソーニ社へ赴く。ZULLO氏はとても残念がった、しかし在留許可が出ない以上、ZULLO工房にいるとそれこそそれまでの努力が水の泡になりかねない。ビザ発給を条件に移籍を決意した。

当時自社生産を休止していた同社では主にブランディングと新車種のデザインが主な仕事だった。やっとの事で就労ビザも手にしたがあのZULLO氏との2人3脚が忘れられない。私はパッソーニ社での正式採用を辞退し帰国、本当に意味で私たちが目指したハンドメードバイクの普及にあたることに。そんななか、ZULLO氏は私のいる日本にやってきてくれた。あのとき、彼の眼には裏切りに見えたかも知れない私の元へ。帰国してからイタリアでの日々が寝て夢をみたかのような錯覚に襲われたものだが、この数日は彼が私の家に居た。昔を懐かしみ、あの苦しかった日々を肴に食卓を囲んだ。あれは夢ではなかったんだとやっと思えたのだ。

今年は、帰るところをココロに持ち オッサンのいるヴェローナに行こうと思う。
たくさん頂いたオーダーも手伝いに行かなオッサンたまらんやろし。。。
支えて下さったみなさま、来ていただいたみなさまに工房を代表してお礼申し上げます。
      お お き に。

ZULLO TIZIANO & MASO

all my friends in Japan I want to say: Thank you so much for the beautiful days I had with all of you. I felt so welcome everywhere and met so nice persons who travelled many Km just to see me. It was a big honor to meet you all. It was a great trip and I saw many interesting places. I surely will come back to visit more places in Japan. A big thankfulness to my dear friend Maso who organized the whole trip so perfectly, I enjoyed so much to meet him again and his lovely wife. Thank you all and hope someday to meet you again !! Ciao da Tiziano Zullo.