2011/03/30

masso

プロトタイプを諏訪にあるワタナベ塗装さんで進行中
AVEDIOさんのカーボンモノコックをデザインと塗装を担当
同社の同じラインでカタログに載るとすこしブランドラインが違う
そこで別ブランドにしてみた。

2011/03/28

ヌード

その言葉を聞くと温泉ブームについて行けない歴史のある温泉街を思い出す。「ヌード」なんて色あせた看板が温泉街の片隅にある感じ。色あせた踊り子がいないことを願うが。。

色あせない、飽きの来ないヌーディーなフレーム 入荷しました。
イタリア・ベルガモに工房を置くNEVI(ネービ)、ヨーロッパハンドメードバイクショー”EHBE”に来ていた工房だ。
会場では我々ZULLO工房の真向かい、お隣のDeRosa ドイツで開催されるわりにはイタリア語ばかりが飛び交う一角
そこで異色さを放っていたチタン工房NEVI、入荷しました。クリスキング”inset”仕様のものも特別に製作。グラフィックのないフレームはチタン素材むき出し、イタリアンらしくない、あのイヤらしさのない仕上がり。それを望む人にはちょっとナンだけど車に積んでも、輪行しても 塗装のダメージを気にすることなく使える。

デカールのたぐいは私が作ったオリジナルでクリスキングヘッドがアップチャージで付く
あなたも妖艶なヌードなフレームはいかが?

モデル:CLASSIC

2011/03/24

花よりダンゴ

櫻とダンゴ、オレは団子派
桜前線とは無縁の長野県、岡谷にあるワタナベ塗装さん
機能は−3度やけど、春を願って(オレの人生も)パッと明るい感じで
サクラをやりました。昔サクランボやったけど・・。

時代劇度35% 懐かしい感じ
爽快感45% 動きありな感じ
技術度20% ハイテクな感じ

どないやろ?

2011/03/22

サクラ

日本の花、サクラである。ちょっと遠山の金さん風か?
どこぞのサクラのグラフィックよりはマシかな。

付随するロゴなんかも必要で

ありとあるゆるところで現代社会は”数値”が必要らしい
5番目の社会・ソチエタファイブ
どないやねん?
久しく面積の広いフレームにグラフィック載せてなかったし
製造の方ばっかりやったからデザインワークに不安があったが、ちょっと解消。

スワのスワン


諏訪湖にはデカい白鳥がいる
むかし、ZULLO工房のあるGARDA湖にいた白鳥が突如として姿を消した
調べてみると地域の中国人の経営する中華レストランの冷凍庫からどっさりと出てきた
彼らにとってはニワトリも白鳥も変わらなかったのである・・。
ここ諏訪湖にもとてもデカい白鳥がいる
目元がとっても愛らしい

たまった洗濯物をコインランドリーに、そんでもって自分も洗濯へ
ここには温泉がいたるところで湧いている。
冬のイタリアにいたとき、湯船が無くてとても寒い思いをした。
温泉が無性に恋しかった が、 ここには毎日違う温泉に入れるほどたくさんあるではないか!
とりあえず、地域でもっともシブくて大きな菅野温泉に・・源泉掛け流しで220円とはありがたい。
通りからは小さな路地を入っていく、なんか時代を遡る雰囲気で昭和の臭いがする
生まれ育った大阪にも昔こんな銭湯があったっけなぁ〜

共同湯の一軒”旦過の湯、熱いらしい


洗濯物を取り終えて、メインストリートを歩いていると やはりシャッター商店街の寂しさはあるものの数軒のおもしろい店を見つけた。

革製品の工房 Takajin タカジンというと関西の”たかじん”を思い出すがオーナーも関西人だった。オリジナルの革製品を注文できる

スミレ洋裁店 昭和初期のたたづまいをそのままに手作りの雑貨、カバン屋さんになっていた。

ここでも若い人たちが古い町並みを盛り上げようと頑張っていた。

220円だそうだ

2011/03/21

30t

フレームグラフィックのアイディアを練っている
出てくるアイディアはみんな被災地への貢献ばかり・・お金がないので多額の募金はムリ。
でも、なんかあるやろ。

オレがみんなに出来ること
やっぱ自転車しかない・・ シュン。

でも、まてよ。
神戸の震災のとき、自転車は重宝された。
かなり長い間電車は不通で通学、移動、水くみに自転車が大活躍した。
ガソリンが無かったり、道路をクルマが走れなかったり・・
当時、地震後6時間ほどで神戸に入った。
友人の家族の安否確認と当時の彼女と夜遊びした帰りだったのですぐに送り届けねばとヒヤヒヤしたもんだった。毛布にくるまれた遺体の並ぶ住宅街をバイクで抜け普通1時間しかか掛からない道を5時間ほど掛けて行った。バイクだったからよかったけど道は至る所で地割れ、がれきでクルマは通れなかった。薬剤などの緊急物資輸送にモーターバイクが大活躍したのを覚えている。その後かなり長い期間水道は復旧せず市民は手にポリタンクを持って給水場所まで通っていた。行きは良いが帰りはかなり重い。しかも遠い。自転車が移動の手段に重宝する。乗っていって押して帰っても、持って帰るよりずっとラクチンなのだ。

そこで
ウチにあるオレの自転車を持っていくのは簡単だけど。。それじゃ足らん。
街の放置自転車はどうだろう?
町並みの美化なんて言って強制撤去されてしまった自転車たち
持ち主が現れるのを待ち保管所でホコリをかぶったたくさんの自転車
エコな移動手段を撤去する方もたいがいやけど、安いからと言って放っておく方もたいがいや。そやけど今は黙っておこう。 その持ち主の現れない長期保管自転車、いろんな自治体が持て余してる自転車を被災地へおくろう。今のままでは動かないモノもあるだろう、簡単な修理をして送ってあげれば絶対に役に立つだろう。実際あまりに多い放置自転車のためにある程度の期間を過ぎれば民間に払い下げていると聞く。これを被災地へ向けて移送するのはNGだろうか? もちろん整備にも協力する、移送する車輌さえあれば自転車いっぱい積んでオレが30tトレーラーだって運転しちゃう。

ちょっとイメージしてみた・・・

以下メールで関係者に打診してみた内容



現在、大都市近郊の市町村では放置自転車の保管に困っております
実際にある程度の期間保管した後、民間に払い下げられています
これを最低限の修理をして被災地に向けて移送して供与するということを思いつきました
おおまかに必要なプロセスは下記3点です

1)自治体への働きかけ 各自治体もしくはメーカー
2)発送元で整備する人 メッセンジャーなどの団体へ呼びかけ
3)整備に必要な消耗部品のメーカーからの協力
4)移送 輸送車輌の貸与、もしくは移送費用の負担


どうやろ?


自転車と人々をイメージしてみてください。
避難所、仮設住宅のようなグレーで重い空気から自由に移動できる幸せ、
友人、知人に自分で会いに行ける喜び。
移動の自由を奪われた人々に今こそ自転車を!
と強く思うねんけど。

これをご覧になる皆さま、自治体等に関係のある方々、自転車修理できちゃうのふつうの人々、みんなでコレでけへんやろか?
手分けして訊いてみてくれへんやろか?

あっ、グラフィックのアイディアね・・いま頭がそれどころやあらへんねんけど。



塔とバケツ

新聞にはスカイツリーの記事、世界一になったらしい。
その資金とエネルギー、技術を違う方向へ使えないのか?
バベルの塔の神話を思い出さずにはいられない。

パンダ来日に浮き足立つ報道と民衆
怖さ故の現象か、生活必需品が消えた。
スーパーにいったらカミがない・・・
ってなんでトイレットペーパーが無くなるのかようわからんけど。
イタリアではビデを使ってたんで、バケツに水を張っておいておく事にする。
それは長期滞在者のなせるワザっだたりするが、また今度そのやり方を解説しよう。

しかし我々、民はいつの頃からこんなに利己的になってしまったんだろう?
道徳に背いても自己の利益追求がいつから賞賛されるようになったのだろう?
ホリエモンからか? 国益に叶うから戦地に自衛隊を送り出してからか?
しばらく日本にいなかったからか、なんかが大きく変わった気がする
ハッキリ何かはわからんけど、みんな余裕が無くて利己的にみえる。
なにかにビクビクしているような気がする。

買い占めに走る”怖い”という衝動をよく見る。それ自体は動物がもつ基本の感情で、全てのひとが持っている。でもそれをコントロールするのが人間と動物の違いであるとおもう。
怖いと思うメカニズムをすこし考えてみてはどうだろう。それは知らない、知ろうとしない無知や未知からくるもので、多角的に情報を集めればそれは恐怖の源ではなくなる。
たとえば知らない人が隣に越してきた。挨拶をせずコミュニケーションを取らなければその人はなにをする人か、何という名か、どこから来た人なのかさっぱりである。やはり怖いのである。 知る努力というのは怖さからの解放である。もし勇気をもって挨拶をして会話をしてみればその人が探していた電気技師かもしれないし、調子の悪いあなたの洗濯機が直ってその後あなた自身がその洗濯機といっしょにその人と住むことになるかもしれない。

だがどうだろう、この現代社会
私はイタリアという場所から故郷を見た。日本のマテリアル的な裕福さ、社会システムの高さ。。しかし精神文化、ココロは本当に豊かなのであろうか? いま世界一のタワーを誇りに思えない自分がいる。そしてバケツの水でケツを洗うオレがいる。

ところで、あのタワーはなんの機能があるん?

2011/03/20

ココロ折れる

先先週から長野県諏訪、岡谷というところにいる
ワタナベ塗装さんだ。
フレームのデザインを以前から頼まれていたがモノを見ないとアイディアが湧かない。しかも制作現場から離れていたので製造に参加させてもらっている。
しかし塗装のクオリーティーは高い、さすがカメラを塗っていた会社だ。
今回、参加させてもらってだいぶと勉強になった。感謝

さて、慣れない塗装場で揺れがあった
しかも長かった。神戸の震災を当時働いていた自転車店で経験した
徹夜明けの自転車店で片付けをしていた頃、脚立に乗って戸棚にモノをなおしていたときだった。しかし今回の揺れは長かった、急にあの頃のイメージが頭をよぎった。
幸いワタナベ塗装さんは無事、商品も無事だったがニュースを見て唖然とした。

神戸の時、6時間後に現地に入ったがあのときの地獄絵以上の惨状ではないか。。
涙があふれた。ニュースを見る度に辛くなった。
でも見続けた、現状を知るために。そこで起きていることをよく知るために。
それがしなければならないことだと思った。
こんなところで自転車作ってる場合では無いのではないか?とも思う。

この度の震災で亡くなられた方々へのご冥福とご家族を失った方々への哀悼の意を表します
イタリアの友人、現地取引先からの数々のメールにかえてお伝えします