新聞にはスカイツリーの記事、世界一になったらしい。
その資金とエネルギー、技術を違う方向へ使えないのか?
バベルの塔の神話を思い出さずにはいられない。
パンダ来日に浮き足立つ報道と民衆
怖さ故の現象か、生活必需品が消えた。
スーパーにいったらカミがない・・・
ってなんでトイレットペーパーが無くなるのかようわからんけど。
イタリアではビデを使ってたんで、バケツに水を張っておいておく事にする。
それは長期滞在者のなせるワザっだたりするが、また今度そのやり方を解説しよう。
しかし我々、民はいつの頃からこんなに利己的になってしまったんだろう?
道徳に背いても自己の利益追求がいつから賞賛されるようになったのだろう?
ホリエモンからか? 国益に叶うから戦地に自衛隊を送り出してからか?
しばらく日本にいなかったからか、なんかが大きく変わった気がする
ハッキリ何かはわからんけど、みんな余裕が無くて利己的にみえる。
なにかにビクビクしているような気がする。
買い占めに走る”怖い”という衝動をよく見る。それ自体は動物がもつ基本の感情で、全てのひとが持っている。でもそれをコントロールするのが人間と動物の違いであるとおもう。
怖いと思うメカニズムをすこし考えてみてはどうだろう。それは知らない、知ろうとしない無知や未知からくるもので、多角的に情報を集めればそれは恐怖の源ではなくなる。
たとえば知らない人が隣に越してきた。挨拶をせずコミュニケーションを取らなければその人はなにをする人か、何という名か、どこから来た人なのかさっぱりである。やはり怖いのである。 知る努力というのは怖さからの解放である。もし勇気をもって挨拶をして会話をしてみればその人が探していた電気技師かもしれないし、調子の悪いあなたの洗濯機が直ってその後あなた自身がその洗濯機といっしょにその人と住むことになるかもしれない。
だがどうだろう、この現代社会
私はイタリアという場所から故郷を見た。日本のマテリアル的な裕福さ、社会システムの高さ。。しかし精神文化、ココロは本当に豊かなのであろうか? いま世界一のタワーを誇りに思えない自分がいる。そしてバケツの水でケツを洗うオレがいる。
ところで、あのタワーはなんの機能があるん?
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