2013/03/16

木の匂い(回想録1)

ミラノからボローニャへ行ってみたり

自転車の奥の奥を知りたい。その一心でイタリアに渡った頃スカイプなんてある訳なく、まだイタリアではダイヤルアップで「ビーコーボーコー」 いってたころ。簡単に働ける工房も見つかる訳がなくポートフォリオ(アート関係のひとが作品集を使ってPRするもの)である自分で作った木製自転車・ピノコに乗って走り回っていた頃。
FS(イタリア国鉄)自転車収納スペース

世間は日韓同時開催のサッカーW杯まっただ中。ルームシェアをした日本人の服飾学校の学生とミラノのアパートに住んでいた。イタリア戦が始まるとあたりは静まりかえり、人通りが消え「ウォー!」と歓声がだけが窓という窓からするあまりにおかしな現象に思い切ってTVを買ったりもした。イタリアが韓国相手に敗退して韓国人に間違えられいろんなところで入店拒否や、モノを売ってくれなかったりしたことを懐かしく思い出した。

市内を走るトラムの中は木製でとてもいい感じ

修行先、受け入れてくれる工房を見つける というその希望だけが原動力となり電車にピノコを載せていろんなところへ行った。その中にノベグロというミラノの一角でクルマを含む旧車パーツの即売会へ木製自転車で行ってみた。
あ、コレ 銀河鉄道だっけ? 松本零士のアニメでみたことがある!
そこには、ありとあらゆる古パーツや、見たことのない旧車が売られている。あれこれ見ていると決してキレイな身なりといえない初老の男性が呼び止める「オイ!そこのラガ!」(Ragazzo=兄ちゃん!)聞くと自分が持ち込んだピノコに興味があるらしい。彼の名は「フランコ・バリスコ」といいジャージパンツに袖の黄色いシャツを着たどう見てもヘンなオッサンだった。「住所をくれよ、明日の朝9時におまえの家の前に行くからその自転車をもって待ってるんだゾ」と言うではないか・・確かに明日これといってすることがない。。
翌日そのオッサンは大して変わらない出で立ちでボロボロのクルマを運転してやってきた。そこに木製自転車を積み込んで「あるところ」に連れて行ってくれるという。半信半疑で乗り込みついていくと、シルバーのボログルマを北へと進める。ミラノの郊外、住宅がまばらになり広葉樹の林が眼に付くようになる、丘をぐいぐい登っていくとそこに小さなクルマの修理工場があった。その奥から出てきたのはそのオッサンよりひとまわりは年寄りだろうか、声のデカい爺さんだ。まるで宮崎アニメの「紅の豚」に出てくるピッコロ社のオヤジのような感じ。風貌は似ていないがお茶目で声がデカい。
元村長、ジョバンニ さん
木リムを作る「ジョバンニ・チェルメナーティー」さんだった。木製リム製造メーカーとして世界で唯一現存していた。不思議な出で立ちのオッサン「フランコ」はオレをこの爺さんに会わせたかったのだと この時、初めて理解した。その工房から数百メートル、そこにはギザッロ教会が建っている。この小さな山間の自動車修理工場の地下に木製リムメーカーが今も存在しているとは・・。まるでミラノとこの山間部のコントラストが地上の「自動車の油の匂い」と「木工の木の匂い」のコントラストと重なって見えた。

しかし、このヘンなオッサン、「フランコ・バリスコ」とは一体?

<つづく>

チェルメナーティー家:現在の700cを考案したアレッサンドロの「DAM社」は彼の父。DAM社はその後幾重の変遷を経て現在のタイヤメーカー「ビットリア」となる。木リム部門だけは彼が売り渡さず今も先代から使われている型を使い作り続けられている。ジョバンニの住まうギザッロ教会のある村、マグレッリオ村の村長を務め、在職中に教会の向に自転車文化博物館建設に尽力した。museo del ghisallo
この爺さんの作る木製リムはコチラ→ Cerchi Ghisallo

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